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日蓮大聖人・池田大作

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文化が息づく「場」の継承  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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3  池田 まことに感動的なお話です。私は、わが国の琵琶法師の例を思い浮かべます。それは、盲目の法師の姿をした語り手で、琵琶という中国伝来の弦楽器をみずから奏でながら、叙事詩を語ったのです。
 その活躍は、十世紀ごろまでさかのぼれますが、最も盛んであったのは、十三、四世紀ごろのことで、とくに『平家物語』という一大叙事詩を語り継いだことがよく知られています。
 『平家物語』は、そのころに急速に勃興してきた武士階級の一方の頭領である平家の興亡を主題とした、たいへんに長大な歴史物語で、時代とともにさまざまな説話が付け加えられて、六巻から数十巻にもおよぶにいたりました。琵琶法師は、盲目ゆえに、これを諳じて語りながら、文字どおり日本全国津々浦々まで旅して歩き、『平家物語』を普及させた吟遊詩人でありました。
 それ以前の日本文学の担い手は、おおむね作者も鑑賞者も平安朝の貴族たちでありました。これに対して、『平家物語』は琵琶法師たちの語りの台本をまとめたものであり、文学の作者は貴族の枠を超えることになりました。
 また琵琶法師を囲んだ聞き手たちは、武士階級や大衆にもおよんだとされており、この盲目の吟遊詩人たちが、民衆文化の担い手として、文学を一歩大衆に近づける上で大きな役割を果たしました。
 『平家物語』は、古来日本民族の心情に最も訴えるとされている七五調の韻を踏んでおり、法師の語るその独特のリズムは、琵琶の響きとともに、人々の心に深く刻み込まれたのです。
 琵琶法師を取り囲む座は、あなたの言われる広場での直接の芸術交流に通じるものがあるとも、私は思います。
4  同じく日本の中世に盛んであったものに、連歌があります。連歌は一つの場に何人かの作者が寄り合い、五七五と七七の句を即興的に繋げあっていく形式で、ときには千、万という多くの句を作ったこともあったといいます。集団の場での連作、合作というのが大きな特色になっており、ここにも、広場と芸術への相互参加という概念が当てはまるのではないかと考えるのです。その“広場”は、文字どおり、桜の木の下などの屋外であったことも多かったようです。
 ただ、残念なことに、わが国では、このような芸術的な伝統は失われております。交通機関が発達して、技術的な面では人々の一体化は進んでおりますが、それとともに、精神的にはかえって互いに疎遠になっております。交通手段も未発達の時代のほうが、互いに接近しており、広場における交流の観念も強かったものと思われます。
5  アイトマートフ よくわかります。先ほど申し上げたカララーエフのエピソードは、古代ギリシャの演劇と比較できるかどうかはわかりませんが、疑いもなく、そこには両者を結びつける共通の源があります。とくに、中世のヨーロッパに存在していた「広場」の文化と共通点があると私は思います。
 ここで念頭においているのは、俳優と観客との「接近」ということですが、それは一方で両者の間の独特な対話の発生をうながしました。観客はある程度、芝居の進行に参加しています。観客は、たんに「ふれあって」いるだけでなく、つまり、呈示されるものを一歩退いて観察しているだけではなく、さらに、創り出しています。
 何を創り出しているかと言えば、雰囲気を創り出しています。語り手の言葉が、好むと好まざるとにかかわらず、観客の反応にさらに反応し、観客の気分や熱情によってさらに充実し、完全なものになるという、そういう雰囲気を創り出すのです。
 一般に、あなたがおっしゃるように、出演者と観客との相互作用の問題には、非常に興味深いものがあります。この問題は、決して古くはなりません。それのみか、時代が変われば、異なった解決が必要になります。ここでは、俳優や演出者自身の意見を聞いてみるのも面白いと思います。もちろん観客の意見を聞くのも悪くありません。
 私が知るかぎり、メイエルホリドやオフロプコフも古代ギリシャ風の演劇に憧れていましたし、私の考えに間違いなければ、現在では、ユーリイ・リュビーモフがタガンカ劇場でその考えを実現しようとしていたし、今もしています。
 東洋の演劇、ことに日本の歌舞伎などの伝統も、私には真に民衆的なものだと思われます。
 そのようなタイプの演劇は、幸いにも「民衆文化」が残っているような場所で、その文化を土台にして初めて可能だと思います。たとえば、バルト海沿岸諸国がそうです。歌の祭典は、それらの国々の人々の精神生活において胸おどる行事であり、その時、人々は民族としての連帯感を感じているのです。同じことは、グルジア(共和国)やモルダビア(共和国)についても言えます。
 池田 現代文化の問題は、インテリゲンチア(知識階級)と民衆、という基本問題を検討せずには、完全には理解できないと思います。その観点から見れば、たとえば、ピョートルから始まるロシアの文化には、「上層」としてのインテリゲンチアと「下層」としての民衆との間に、目立った境界がありました。
 一八二五年十二月のデカブリストの反乱は、ロシア革命の最初のページを開くものでしたが、これとても、革命的貴族が企てたもので、決して下からの、民衆からの盛り上がりによるものではなかった。「ヴ・ナロード(人民の中へ)」の運動は、こうした上からの政体変革の失敗を青年インテリゲンチアが反省して展開したものでした。
 こうした「境界」や「断絶」は、ゴルバチョフ大統領が、民主化を進めるために強大な権力を手にしなければならないというジレンマ、ピョートル大帝と同じく啓蒙君主的手法をとらざるをえなかったジレンマに端的に現れています。
6  アイトマートフ 西欧の文化には、少なくとも、そのような断絶はなかったように思います。さもなければ、フィレンツェのラバを引く人たちがどうしてダンテのカンツォーネを口ずさむことができたのでしょう? 詩人ベルナンド・オスコルディがローマを通ると聞いて、どうして商人たちが自分の店を閉め、その詩人の朗読を聞きに駆けて行くようなことをしたのでしょう?
 換言すれば、ヨーロッパにおいては、「庶民」に理解され反響を呼ぶことのできない「教養人」は、教養人たりえなかったわけです。つまり観衆と舞台の「接近」です。
 池田 イタリアについてさらに言えば、歴史家ブルクハルトは、「詩人タッソは、どんなに貧しい人々にも読まれるではないか」(『イタリア・ルネサンスの文化』柴田治三郎訳、中公文庫)と事実を挙げて、ルネサンスが民衆的でなかったという一般的な見解に反論しております。
 そのように、豊かな、価値ある文化は、豊かな民衆的な土壌があって初めて可能なのです。日本の哲学者・森有正は、この点について、あるフランス人学者の言葉を紹介しております。フランスはデカルトという世界の近代思想を生んだ偉大な人をもっているけれども、「デカルトを一行も読む必要のない人が到るところにいるフランスであればこそデカルトが現われたのだ」(『森有正全集5』筑摩書房)と。
 アイトマートフ 文化について語る前に、「文化」とは何かについて吟味しておく必要があるのではないでしょうか。少なくともここで私たちが何を意味してこの言葉を用いているか、ということですが。「文化とは、その民族のあらゆる芸術的発現に見られる様式(スタイル)の統一である」という定義はどうでしょう? これはフリードリヒ・ニーチェが『ダビッド・シュトラウス』の中で出した定式です。
 池田 それなら同意できます。同時に、私は、T・S・エリオットによる指摘も付け加えておきたいと思います。それは、あらゆる文化の根底には宗教的な情熱があったということであります。エリオットはこう述べております。「何等かの宗教的根柢なくして文化というものが発生し得るや、或いはみづからを維持し得るや否やは甚だ疑問である」「一民族の文化は、本質的には、その民族の宗教の(いわば)肉化ではないか」(『文化とは何か』深瀬基寛訳、弘文堂書房)というのです。
 ご提案にあるように、文化とは、芸術に深くかかわるものです。芸術は、人間の内なる声の発露であり、至高なるものへの精神の飛翔であります。そこに、宗教と通いあうものがあります。たとえば、芭蕉の「静にみれば物皆自得す」(『校本芭蕉全集 第六巻』井本農一他校注、角川書店。原文は程明道の「万物静に観ずれば皆自得す」)という表白にも、そのような宗教性が表れております。
7  アイトマートフ タジキスタンの農民たちは、読み書きはできませんが、オマル・ハイヤーム、フィルダウスィー、ニザーミー、フィズーリー等のたくさんの詩を空で覚えていました。芸術は彼らの精神生活の主要な部分だったのです。また、トルクメスタンの詩人マフトゥムクリはどうでしょう?
 まさにこのような民衆の文化というものは、それぞれの民衆の歴史と深く結びついております。ところが、私たちが生きている現代社会にあっては、多くの場合、その歴史観が歪められ、歴史の事実が寸断されてしまっていることは悲劇的であります。
 歴史の記憶が消されてしまっているというのは、最も恐るべき不幸であり、今世紀の病です。この不幸な病は、全体主義や独裁体制という形をとって人類を襲い、諸悪の根源を成しているのです。悪しき為政者が民衆をあざむいて凄惨な歴史の実験を行った時、決まって使われた美しい手段が、文化の改革運動であり、つまり歴史の記憶を分断させることでした。
 それは、予言者を気取る者たちによって最高の人道的事業と宣言されていましたが、実際は、大衆を精神的、文化的ニヒリズムヘ、貧困化へ、およびその結果としての野性化へと導くものにすぎません。
 もう一つ付け加えます。新しい文化を発明しようという試みは、というよりも、国家のイデオロギー政策は、わが国の例を見てもわかるように、たんに「ブルジョア」文化の否定という思い上がりをともなうだけでなく、つまるところは、文化を、絶対的教義をもつ何らかの政治体制の狭い枠内に閉じ込めてしまうものであって、一般にあらゆる文化にとって有害なものだと思います。
 その種の「文化」は、その本質においても目的においても、破滅を運命づけられています。なぜでしょうか? 第一に、文化は──これは根本的な問題ですが──何らかのイデオロギーに奉仕するために短時間で作られるものではありません。すなわち、法令によって導入されるものではありません。もっと簡単に言えば、命令によってどうにかなるものではありません。
 本当の文化はつねに発展の過程にあります。それは大昔からつづいているものです。それゆえに、存在するのは文化の歴史だけです。歴史なのです!
 文化が切れ目のないものだということは、ほかならぬ民衆の文化の中に感じられます。民衆は文化を魂の中に保存し、歌や詩や踊りの中で表現し、一方、文化はそれぞれの民族の民族的伝統に依存しています。
8  池田 そのとおりです。あなたのご意見にまったく賛成です。およそ伝統的でない文化などはありません。
 西欧精神を深く学び、伝統と近代化について悩み、思索を重ねた近代日本の文学者たち、たとえば森鴎外は、日本の近代化について「何千年という間満足に発展してきた日本人が、そんなに反理性的生活をしていよう筈はない。初めから知れ切った事である」(「妄想」『鴎外全集 第八巻』所収、岩波書店)と、自国の文化的伝統をはっきりと認識しております。
 また、島崎藤村が「何か斯う僕等の国には欧羅巴の方に無いものが残って居て――意気とか、イナセとかいうものがあって――美と清潔とを愛するような天性があって、それが貧乏人と左様でない人達との間を調和して来たような気もするね」(「海へ」『島崎藤村全集 第七巻』所収、筑摩書房)と述べるとき、やはり一つの民族の中に長い間に成熟しきった文化的な伝統に注目しているわけです。
 ここでは、文化の一種の相互作用が見られます。漱石、鴎外らは、日本の伝統文化を深く理解していたがゆえに、西洋文化をより深く理解したと言えます。そして西洋的な教養が深かったがゆえに、より深い伝統的な味わいのある日本文学を形成しえたと言えましょう。
 こうした民族文化間の相互作用を、さらに「世界文化」へと広げゆくことが、現代においては重要な課題だと思います。「世界文化」という概念は、ゲーテが導入したものです。この点、文化は伝統として受け継がれるものであると同時に、新たに創造し獲得しうるべきものであるとも言えましょう。
 ゲーテは、「国民的憎悪というものは、特種なものである。──文化の最も低い段階にあって、最も強烈に現われるのがつねである。しかしながら、こうしたものが全然姿を消し、いわば国民的なるものを超絶し、隣国の幸不幸も自分の事のように感ずる境地がある。この文化段階が私の性質に適わしい」(エッカーマン『ゲーテとの対話』神保光太郎訳、角川文庫)とエッカーマンに語っております。
 その世界文化が、相互理解と一致団結に向かわざるをえない人類の精神生活において、今や欠くことのできない現実となっています。ついでに言えば、ゲーテは、オマル・ハイヤームの『東洋の長椅子』を訳して、彼をヨーロッパ文化に初めて紹介しました。
 アイトマートフ そうです。文化の問題、ことに現代のロシアの思想家バフチンが憧れていた「文化の対話」の問題は、現在最重要な問題となっています。
 私たちはこの対談でこの問題を十分に話し合うことはできませんが、文化についての新しい国際的行動プログラムを創るということは考えてみたいですね。そのプログラムの具体的内容や、全世界的な共同体に対する実際の影響などについて。重要な課題と思われます。
 マナス
 キルギス族で口承されてきた英雄叙事詩。
 コルホーズ
 協同組合組織によって社会主義的経営を行う旧ソ連の集団農場。国営農場はソホーズ。
 メイエルホリド
 一八七四年―一九四〇年。旧ソ連の演出家、俳優。
 オフロプコフ
 一九〇〇年―六七年。旧ソ連の演出家。
 歌舞伎
 江戸時代初めの阿国歌舞伎より発達し、舞踊劇、音楽劇の要素をもつ、日本の代表的演劇。
 ピョートル
 一六七二年―一七二五年。ピョートル大帝。ロシアの近代化に努めた。
 デカブリスト
 十二月党員。デカブリは十二月の意。農奴制の廃止とツァーリズムの打破をめざして武装蜂起したロシアの貴族出身の者たち。
 カンツォーネ
 イタリアで盛んになった叙情詩。
 ブルクハルト
 一八一八年―九七年。スイスの文化史家。
 タッソ
 一五四四年―九五年。
 森有正
 一九一一年―七六年。
 あるフランス人学者
 コレージュ・ド・フランスの教授、ポール・ミュス。
 フリードリヒ・ニーチェ
 一八四四年―一九〇〇年。ドイツの哲学者。キリスト教的道徳を弱者の道徳として批判。永劫回帰し、権力への意志を根本的性格とする世界で、人間を超克する超人として生きるべきことを強調。
 T・S・エリオット
 一八八八年―一九六五年。イギリスの詩人、批評家。ノーベル文学賞受賞。
 芭蕉
 一六四四年―九四年。江戸前期の俳人。俳諧を文芸にまで高めた。
 オマル・ハイヤーム
 十一世紀―十二世紀。ペルシャの詩人、科学者。
 フィルダウスィー
 十世紀―十一世紀。イランの詩人。
 ニザーミー
 十二世紀。イランの詩人。
 フィズーリー
 十六世紀。トルコの詩人。
 森鴎外
 一八六二年―一九二二年。小説家、翻訳家、軍医。夏目漱石とともに日本近代文学の巨匠。
 島崎藤村
 一八七二年―一九四三年。詩人、小説家。ロマン主義の詩を書き、自然主義の小説を発表した。
 バフチン
 一八九五年―一九七五年。

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