Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

青年に望むもの  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
6  アイトマートフ その言葉に励まされて、私が自分の人生経験にもとづいて、青年たちに何を言いたいと思っているか、ということについてお答えしましょう。
 単純な事柄です。第一に、青春は、この世の美しいものの例にもれず、すばやく過ぎ去るものだということを自覚すべきです。きょうは若くても、あすにはもう中年になります。それゆえにこの世を幼時的特権の立場から、年齢的甘えにもとづいて眺めてはいけません。善と悪に年齢の違いはありません。若さのエゴイズムにいつまでも甘えていてはいけません。早いうちから自分が大人の人間としての責任をもっていることを自覚しなさい。成熟した考えをすることのできる頭脳をもっていても、若者が若者であることの妨げにはなりません。
 第二に、これは父親としての助言です。若者たちよ、社会革命に多くを期待してはいけません。革命は暴動であり、集団的な病気であり、集団的な暴力であり、国民、民族、社会の全般にわたる大惨事です。私たちはそれを十分すぎるほど知っています。
 民族主義改革の道を、無血の進化の道を、社会を道理に照らして改革する道を探し求めてください。漸進的発展は、より多くの時間を、より多くの忍耐と妥協を要求し、それによって幸福を育み、ひたひたと満たしていきますが、幸福を暴力で達成しようとはしません。
 私は神に祈ります――若い世代が私たちの過ちに学んでくれますように、と。
7  さて、人生の意義についてですが、これは、人間が地球上に存在するかぎり存在しつづける永遠の問題です。この問題ばかりは戦争や革命によっても、あらゆる理論や教義をもってしても解決されないのです。それらの手段は、解決どころか、むしろ人生の意義を、複雑かつ難題にしてしまうばかりです。
 また、ソ連では批判力をもった民衆が桧舞台に登場し、一方中国においては民主主義が人々の目の前で悲劇的運命をたどっていくといった、社会的状況の深刻な変動も、覚醒も、つまりいかなる事態も、この永遠の問いかけの灯を消すものではありません。
 かくして人間は「生きがいとは」「何のために生きるのか」を思索しつづけ、この終わりのない問いかけに対する答えを、時代の英知が到達可能なかぎりにおいて見いだそうと努力するのが、おのおのの世代に課せられた義務なのだと思います。
 したがって青年は、みずからの人生の目的を何に見いだせばよいのかを、自分の力でよくよく思索しなければなりません。ですから、これからここで私が述べることは、あくまでこの問いについての私個人の理解にすぎません。
 人間はつねに、今現在のとりあえずの欲求を何とか満たそうとして生きていますが、じつは、より本質的次元から見れば、人間の労働、生活、創意、社会規範等、全般にわたって人間存在を意義づけてきた主要な、いな最大の成果は精神文化の形成にありました。
 ドストエフスキーは、もしもこの世の中ですべてが満たされ、皆が食べ物にも衣類にも履物にも不自由しなくなり、どの家のかまどにも火が燃え、だれもが屋根の下で暮らすようになったらどうだろう、その先はいったいどうなるだろう、という問題を考えて、思い悩みました。同じように私たちも想像してみましょう。
 今、地球の広大な地域を覆っている経済的後進性や貧困の苦しみや不幸が、技術文明の援けによって、脱工業化時代の諸発見によって克服され、人間が宇宙の創造者になり、経済的豊かさがあらゆる地域で完全に保障されたとしたら、私たちは、より正確に言えば、私たちの遠い子孫は、物質的欲求を満たすことが生きる目的ではないことを――現在それが心ならずも最終目的のように思われているのは、当面私たちにとってそれ以外のものは言葉の遊びにすぎないからです――発見するでしょう。
 営々と物質的充足をめざして進んでいる私たちが、いつの日か、やはり最終的に求めていたものは物質的満足ではなかった、じつは最高の目的は別にあったと気づく時が来るように思われてなりません。
 人生の最高の目的は、限りなく自己を完成させていくことです。外なる世界を認識する努力、内なる世界を表現する努力、そのような労作業を通じて得られる道徳的、倫理的、精神的自己完成。それが世々代々継がれていくことにより、深遠な神意に、換言すれば自己自身の内にある神聖にして人間的なるものに目覚めていくことが、人生の真の目的だった、と……。
 ドストエフスキー
 一八二一年―八一年。ロシアの小説家。トルストイとともに現代の文学、思想に大きな影響を与える。

1
6