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日蓮大聖人・池田大作

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最も難しい勝利、それは自分に勝つこと!…  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
14  さらに申し上げれば、世界が飛躍的成長を遂げたとも言えるペレストロイカを経験した私たちは、すでに人の首を「束ねて」どのくらい「消費」したかとか、どれくらいの人がどれくらい苦しんだかという尺度を捨てて、別の尺度で熾烈な闘争の「対価」を判断しなければならない時代を迎えているのではないか? 闘争という一見詩的な名で呼ばれる流血の行為がなぜ階級の間で、そして民族の間で絶え間なく繰り返されなければならないのか? 無血の道で正義を勝ち取ることはできないのか? 人類は殺人と不幸の最高峰をすでに幾度も踏破してしまったのではなかったのか? これ以上何を踏破しなければならないのか? 宇宙の不幸の最高峰までもと言うのであろうか?
 こう自問するゆえに、私は、いかなる革命もいかなる内戦も意義づけは不可能であると申し上げたいと思います。ゆえに、人々が、「勝利」の祭壇に数百万の犠牲を捧げたと熱狂的に叫んでも、私の中には、感動も誇りも満ちてはこないのです。いや、それどころか、私は天を呪い、こう言うでありましょう。神よ、このような勝利を二度ともたらすことなかれ、と。残念ながら、私たちには臨終のことを習うすべもなく、私たちの意識の底の深遠に思いを凝らして到達するための、天啓の閃光も与えられていないのです。したがって、危険な理想を作り上げた本人たちも含めて私たちは、だれ一人として、逆戻りのきかない死の一線を超えるという経験をもちえないのです。そうなっては、もう取り返しがつかないわけですから。
 死の「彼岸」から、みずからの命を賭した闘争が、命を落とすに値するものであったと満足して確認できた人は一人もいないのです。そして生き残った者たちだけが「一方的」に起こった出来事に対して勝手な解釈をつけていくのです。彼らは正義の憤怒にかられて復讐を誓い、そしてそれを実行する。復讐はまたさらに新しい復讐の誓いを呼び起こしていく……。その時、魔王は狂喜し、宴を催して人々の心に悪意をかきたて、良識の心を自分以外の何ものをも受け付けない不寛容と差し替えてしまうのです。心の歪みはカビのようにはびこり、高潔なる美徳を殺していくでしょう。しかし、最も嘆くべきは、これほどの辛酸にもかかわらず、流血の道は何ももたらさず、そして、人類は、そこから次の世代に残すべき何ものをも学びえないことであります。それどころか、人類の退化と残忍と破壊をもたらすだけなのです。
15  歴史的改革の途上にあって私たちが気づき、そして今求めてやまない民主主義、個人の尊厳、民族と国家の主権は、まさに運命に導かれて歩みだしたペレストロイカのこの道によって到達可能となると思うのです。ペレストロイカ――それは、第二の一千年の締めくくりにおける人道主義の顔であり、それは、私たちが人類に贈る高貴なる貢献なのです……。
 ここ数年間は、私にとって、たんにペレストロイカの日々であっただけではなく、何かまったく新しい角度からみずからの作品を含めて、すべての文学的なるものを見つめ直した日々でもありました。それは、あたかも、私の読者が別世界に、異次元に移り住んでいってしまったとでも言えばよいのでしょうか。私が今まで親しみふれてきた人々が変わってしまい、価値の基準も変わってしまったのです。以前は、中編、長編小説はもちろん、ただの小論文であってもすぐに反応があるのを感じることができ、発した言葉をたしかに受けとめてくれているという手応えがあったのです。今はそうではありません。だれも文学どころではない、みな政治病に取りつかれてしまっているのだということは私にもわかっています。
 さて、これからどうすべきか? 正直に申し上げましょう。私は今、文学の生命力が感じられないことで苦しんでいます。文学が本来もっている意義、そしてエネルギーが感じられないのです。それがあったゆえにみずからの作品を生みだす意味を認めていたはずだったのですが。いかにすれば文学を回復せしめることができるのでしょうか。いかにすれば、ふたたび立ち上がらせることができるのでしょうか? 私は片時もペンを捨てることなく仕事をつづけています。今まで思索し書きためてきたものをすべて根本的に見直してみました。そして、わが道を振り返ってたどりつつ、ふたたびそこに自己自身を発見する作業は、私にとって大きな努力と恐ろしい苦痛をともなうものでありました。
16  そして最後に、私の手紙は「最も難しい勝利、それは自分に勝つこと!!」と題しました。このような題をつけたのは、人間は、自己自身と向かい合ったとき、歴史の前にみずからの責務を問うときが最終審判の下るときであると考えたからなのです。社会といっても突き詰めていくならば個の集合体であるがゆえに、自身への問いかけは根本的意味をもっているのではないでしょうか。ここで言う個とは、社会的意識の当体として重要なのです。したがって、個という原点の善し悪しによって、社会の顔立ちも決まってしまうと言えましょう。わが国にかくも長期にわたって君臨した全体主義の悪は、とりもなおさず、人間の自由と権利を否定して、人間の人格を完全に踏みにじり、人間を党、国家、そしてイデオロギーとユートピア思想に服従させたことにあります。
 しかし、ネオスターリニストに対する民主勢力の八月勝利は新しき世紀の扉を開き、社会と国家が、そして何よりも一人一人の人間が、ひいては民族全体が、今までとは質的に異なる状態に踏みだしたのだと思います。
 時は到来し、歴史の審判は下ったと言ってよいでしょう。民主主義が生活形態の主流となり、ますます現代生活の根幹を成していくようになるでありましょう。民主主義がにわかに現実となったのです。しかしはたして、わが国に生きる私たち一人一人は、過去から受け継いだものを自身の中で克服することができるでしょうか。それは、つまり、幾世紀にもわたってはびこった私たちのエゴイズムであり、そのエゴイズムは社会主義によって偽善と偽りに変貌してあたりまえのように遍満し、さらに希望を閉ざされた暗澹たる他力本願と仕事に対する無気力となって人々を蝕んだのです。それらに打ち勝つことができるでしょうか? 文化と社会の堕落と退廃をもたらしたすべての悪しきものを、自己自身の中において克服することができるでしょうか……。
 はたして、労働と学術の成果を人間自身の豊かさに供し、みずからの心の捕虜となっている自身を解放し、そしてついには、世界制覇というナンセンスな理想を投げ捨て、軍産独占支配を抜け出すことができるのでしょうか……。
 私は、自己自身に打ち勝つことができるか、廃墟から立ち上がることは可能か、との危惧をいだくゆえに、この苦い言葉を口にしております……。
 地政学
 国家の政治的変化・発展を地理的条件との関係からとらえる学問。
 モスクワ
 ロシア連邦、旧ソ連邦の首都。
 八月クーデター
 一九九一年八月十九日、ペレストロイカに反対して保守派が起こしたクーデター。ゴルバチョフ大統領を監禁したが、市民が反クーデターに立ち上がり、クーデターは失敗、共産党が解散した。
 ネオスターリニスト
 スターリンは一八七九年―一九五三年。旧ソ連の政治家。一九四一年に人民委員会議長(首相)。死後、その粛清を伴う専制的政治はスターリン主義として批判された。その後の反民主的なスターリン主義的な動きをする者をネオ(新)スターリニストという。
 マルクス・レーニン主義
 マルクス主義はマルクスとエンゲルスによって作られた、資本主義が必然的に社会主義に移行し、プロレタリアートが解放されるという思想体系。帝国主義やプロレタリア独裁について考察したレーニンの学説がマルクス主義を継承するものであるという立場をマルクス・レーニン主義という。
 ソ連
 ソビエト社会主義共和国連邦。一九一七年に革命によって成立したが、九一年に解体。
 カティン
 ソ連軍の捕虜となったポーランド軍将校約八千人の大部分が、一九四三年四月、スモレンスク郊外のカティンの森で殺害された。
 KGB
 旧ソ連の国家保安委員会。
 エジョフ
 一八九五年―一九四〇年。
 アバリーヌィ・スエズド
 非常道路。急な坂道を下るさい、ブレーキをかけきれなかったときに、脇にそれて車を止めるための道路。
 亜大陸
 大陸の一部、あるいは大陸よりは小さいが、ほぼ大陸としての諸条件をもっている地。インド亜大陸、グリーンランドなど。
 現在ユーゴスラビアで……
 第二次大戦後、多種の民族によって構成されたユーゴスラビア連邦は、冷戦構造の崩壊とともに民族独立が活発となる内戦状態におちいった。
 第二の一千年の締めくくり
 キリスト教では、再来したキリストのもと、地上に一千年間にわたる平和の王国が建設され、その最後に裁判が下るとされる。それになぞらえて、二十世紀の終りは、第二の一千年の締めくくり期になる。

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