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日蓮大聖人・池田大作

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6 童話と性格形成  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

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12  デルボラフ 昔の魔女や妖怪、あるいは赤鬼や青鬼にかわって、今日、幼児たちに対して、同じような影響力を発揮しているのが、現代の技術的ファンタジーの、もろもろの産物であろうと思います。現代の技術的世界が、そのような結果や影響をもたらさないとしたら、逆に、不思議かもしれません。西洋では、人工的なファンタジーがミッキーマウスやドナルドダックを生んで、すでに五十年たちました。
 事実、成功した童話や子ども用物語ほど、長期にわたって各世代の意識に残り、人間の空想への欲求に訴える文学作品はないといえます。私はここで、威嚇と警告の物語として騒がれたホフマン博士の『乱髪頭のペーター』──この本はすでに百版以上も重版されていますが──をくわしく論ずることはしませんが、主人公の小さなコンラートが、指をしゃぶるので両方の親指を切られるというのは、どうもあまりにむごすぎる罰ではないかと思います。そこで、この話を、先のグリム兄弟の、残虐な物語の系列においたしだいです。
 ただ、忘れてならないことは、子どものための童話や物語を集成したり、創作したのは、グリム兄弟やドイツ・ロマン派の同時代人であったこと、そして、それが十九世紀以来、ヨーロッパの各国で国際的な基盤の上に、さらに豊かな財宝を生みだしていったということです。そのなかでも、子どもの意識からぬぐいさることのできないフランス、イギリス、ドイツの三つの童話の主人公を、あげてみたいと思います。
 フランスの飛行家サン=テグジュペリの『星の王子さま』、ルイス・キャロルというペンネームで出版されたオックスフォード大学の数学者C・ドッジソンの『不思議の国のアリス』(一八六五年刊)、そして最後に、最近、ベストセラーとなったドイツの童話作家ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』(一九七九年刊)と『モモ』(七三年刊)です。ここにあげた作品のように、作家が、少年少女の想像の世界に、かくも生き生きと入りこんでいるのはまれなことです。
 こうした物語がかくも魅力的なのは、いたるところで在来の伝統的基準を突きやぶり、新しい空想上の要素をもちこんでいるからでしょう。
 『星の王子さま』は、彼が住んでいた小惑星から地球に舞いおりて、作者に動物や家畜小屋をえがかせ、いろいろな惑星を訪問しては、奇妙な体験をかさねていきます。最後は、悲しい、悲劇的な別れをして、自分の星に帰っていきます。
 これはほんとうに、ただ愛らしいというしかありません。また、アリスが姿を小さく変えて、擬人化された動物界と冒険的な出あいをするといった展開において、ルイス・キャロルを凌駕する童話作家はおりません。
 さらに、ミヒャエル・エンデが、おとぎの国のファンタジアを、具体的に細部にわたって考えぬかれた、つねに新しく、意表をつく動物でみたすさまは、かんたんに真似できるものではありません。『はてしない物語』では、この本を読んでいる少年バスチアン・バルターザール・ブックスが、物語自体のなかに折りこまれ、その主人公となり、最後にかろうじて、その危険な世界を脱出するというもので、この構想は、すでにドイツ・ロマン派の童話文学に先例があるにしても、驚きであり、奇抜なものと思います。
 少女モモは、相手の言い分をよく聞くという彼女の姿勢によって、読者を魅了してしまいます。友達を得たり、けんか好きな人たちを仲なおりさせるだけでなく、老いた大人たちの「時間貯蓄銀行」を打ちまかします。この協会は――私の見当ちがいでなければ――現代商業主義のごまかしを象徴しています。
 こうした創作童話が、子どもばかりでなく、むしろ大人をこそひきつけるのは、そこに、短くかぎられた時間だとしても、「子どもの国への道」をふたたび見いだしたい、という憧憬が呼びおこされるからではないでしょうか。これと同名の歌曲で、ブラームスは、こうした憧憬を見事な調べにしました。
13  池田 プルーストの『失われた時を求めて』の主人公は、紅茶にひたしたマドレーヌ菓子を口にふくんだときに広がる香りによって、幼少期の思い出が鮮明に蘇るわけですが、幼年期の思い出につながっているものは、個人によってさまざまです。
 時代は大きく変化していますから、経験した世界は、父と子とではまったく異なっています。しかし、幼年期に、同じ童話をとおして育ったとすれば、人格のきわめて基礎的な部分で、共通のものを保持していることになります。
 それは、世代のちがいを超えて、心のつながりをささえる絆になることが考えられます。その意味で、現実の社会や生活形態が、急激に変化していく時代であればこそ、なおさら、そうした共通の基盤になりうるものとして、昔からの童話が語り継がれていくことには、大きい意義があるのではないか、と思います。
 プルースト(一八七一年―一九二二年) フランスの小説家。深層心理学的な手法で構成した七編十六巻の長編『失われた時を求めて』は、一九〇六年から十六年間かけて執筆。二十世紀の新文学として影響をあたえた。
14  グリム兄弟
 ともにドイツの言語学者、文献学者。兄弟の編著として『ドイツ語辞典』『子どもと家庭の童話集』(グリム童話集)が有名。兄ヤコブ・グリム(一七八五年―一八六三年)は、言語学に「グリムの法則」を立てるなどゲルマン語の基礎をつくる。弟ヴィルヘルム・グリム(一七八六年―一八五九年)は、兄と同じくベルリン学士院会員。著作に『ドイツ英雄伝説』など。
 ハインリッヒ・ホフマン
 (一八〇九年―九四年)ドイツの精神科医、作家。自分で挿し絵を入れた童話絵本『乱髪頭のペーター』を出版。
 ジャン・パウル
 (一七六三年―一八二五年)ドイツの作家。作品は『巨人』など全集六十五巻におさめられ、小説、文学論、教育論と多方面におよぶ。
 フリードリッヒ・シュライエルマッハー
 (一七六八年―一八三四年)ドイツの哲学者、神学者。近代プロテスタント神学の祖とされる。著書に『宗教論』他。
 エレン・キィ
 (一八四九年―一九二六年)スウェーデンの社会思想家、女流作家。男女同権思想にもとづいた児童教育をとなえ婦人運動に影響をあたえた。著書『児童の世紀』。
 シャーロッテ・ビューラー
 (一八九三年―一九七四年)ドイツの女性心理学者。児童・青年の思考、言語、精神発達の研究などにつくした。
 アンナ・フロイト
 (一八九五年―一九八二年)ウィーン生まれの精神分析学者。精神分析の創始者フロイトの末娘。児童の精神分析をすすめ遊戯療法の基礎づくりに貢献した。
 ブルーノ・ベッテルハイム
 (一九〇三年―九〇年)アメリカの精神分析学者。一九三九年、ナチスに追われて亡命。情緒障害児、自閉症児の治療・教育に精神分析の手法を用いた。著書『自閉症―うつろな砦』『昔話の魔力』他。
 シャルル・ペロー
 (一六二八年―一七〇三年)フランスの詩人、童話作家。民間に伝わる説話をおとぎ話集にまとめた(一六九七年刊行)。「眠れる森の美女」「赤ずきん」などが有名。
 サン=テグジュペリ
 (一九〇〇年―四四年)フランスの小説家。飛行家の生活、体験をもとにした行動主義、人間主義の文学を追求。小説『夜間飛行』『人間の土地』、童話『星の王子さま』など。
 C・ドッジソン
 (一八三二年―九八年)イギリスの童話作家、数学者。『鏡の国のアリス』で知られる。
 ミヒャエル・エンデ
 (一九二九年―九五年)ドイツのメルヘン作家。俳優のかたわら創作活動に。『ジム・ボタンの機関車大旅行』でドイツ児童文学賞受賞。
 ブラームス
 (一八三三年―九七年)ドイツの作曲家。古典的、重厚ななかに独自のロマン性をくわえた曲をつくった。四つの交響曲、ピアノやバイオリンの協奏曲、さらに「大学祝典序曲」「ハンガリー舞曲」など。

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