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日蓮大聖人・池田大作

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2 教育と政治権力  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
18  今日、たしかに、政治責任者は専門的助言もかんたんに受けられるし、また、そのような忠告をことわるわけにはいかないでしょう。しかし、最後の政策上の決定をくだすのは、彼ら選ばれた人たち自身であり、そのため、彼らには少なくとも、当該の問題に関するさまざまな視点から適切に判断する能力が、必要となるわけです。
 教育が、政治全体のなかで第四の権力としての役割を担う世界となるならば、事実上、「あらゆる世界で最高の世界」となるでしょう。今日、われわれは、第四の権力の座が、すでに新聞やマスコミによって占められている、二番目によい世界に生きています。
 もちろん、ジャーナリズムを、そのうわさ話を好む傾向、しばしば見られるきわめて許しがたい詮索ぶり、そしてうまい話への無責任な扇動等のなかに見るかぎり、“二番目によい世界”ということは“ちょっとちがうのではないか”と思われるかもしれません。それでも、情報提供、報道、論評という課題、また、裏づけある批判という課題は――マスコミの、娯楽を目的とする広範囲な活動分野を度外視すれば――最終的には教育と関係があります。つまり、マスメディアはたんに材料を提供するだけで、その処理は個人にまかせられているわけですが、それにしても、これは、成人教育とかかわっているのです。
19  池田 マスメディアが相手にしているのは“成人”です。したがって、マスメディアが提供する情報には、しばしば問題になるように、きわめて、いかがわしいものや歪曲されたものも少なくありませんが、それらを判断する力をある程度もっている人々が、その対象です。それに対し、教育が対象としているのは、あたえられた情報や知識を批判的に取捨選択できる力をまだもっていない子どもたちです。
 しかも、成人たちは、マスメディアが提供する情報を、額面どおり受け取ることを強要されはしません。ところが学童たちは、教科書や教師によってあたえられた知識・情報をそのまま受け取るよう、試験という形で強要されます。
 それだけに、教育の内容に思想的偏向があった場合に生ずる結果は、深刻で重大なものになるわけです。この意味からも、私は、そうした偏向や歪みを最小限にとどめるための、最善の努力がなされなければならないと考えるのです。
20  デルボラフ マスメディアが、啓蒙的役割を果たすだけでなく、多くの偏見を世間に流すこともある、というあなたの意見に、全面的に賛同します。
 マスメディア、ジャーナリズムを、国家の実質的な第四の権力とみなした場合、それを無制限に教育界に流入させたり、教科書などがジャーナリスティックに書かれたりすることは、まったく問題外です。ジャーナリズムが、成人教育という課題を担うことができるということは、青年が学業を終えたあとも、自己教育のための指針や、少なくとも指針となる情報を必要としている、という事情と関連しています。

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