Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

4 法か人格神か  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
37  さて、ここでおたずねしたいのですが、仏教の信仰において、これと似たような問題群と取り組む必要があると、あなたはお考えですか。仏教に改宗したヨーロッパ人は、まずだいたい、仏教の合理主義に魅了されているとのことです。実際、仏教徒は、その信仰上の前提から見て現代科学、つまり自然科学の成果と了解しあうのになんら困難を感じない、という意見を何度となく耳にします。
 たしかに仏教徒の場合には、キリスト教徒にくらべて、多くの点で荷が軽いかもしれません。たとえば奇跡を正当化する必要がありませんし、その自己完成は、心理学的に追跡可能な精神的過程だからです。
 ただ、多少事情が異なるのは、存在論的・宇宙論的前提の問題です。つまり、世界の永遠性、世界の多元性(たんに宇宙に存在する別の星雲系を意味しているのではありません)、そして最後に、宇宙生命の連続的再生産と転生への仏教の教えです。
 私が興味をひかれるのは、仏教が今日、キリスト教の場合のように、科学研究に対する防衛戦に巻き込まれつつあるのか、また、もし信仰と科学のあいだに見解の相違が生じるとき、仏教はどのような妥協の方法をとるのか、という問題です。この点いかがでしょうか。
38  池田 仏教の本領は、生命の法理を明かしたこと、人間の人格的向上への原理を説いたところにあります。これは、個別科学のなかでも精神科学と多分にかさなりあっていますが、今日われわれの知りうるかぎりでは、精神科学の発展は、仏教の説いているものがいかに正しいかを裏づけつつあります。
 もちろん仏教も、その説法のなかで、釈尊の時代にインドの人々が信じていた世界観や宇宙観を用いています。その世界の像は、今日では現実とあわないことが明らかとなっています。しかし、それはあくまで仏教の根本的教理とは関係のないもので、その点で、今日の科学的知識に席をゆずったとしても、仏教の成立基盤が崩れるということは、まったくありません。
 仏は覚者であり「三界の相を如実に知見」していると宣言していますが、この三界の相とは、物理的世界の姿を指すのではなく、人間生命の欲望や怒りと、それがまねく苦悩を指しており、したがって、いかにすれば人々をそうした苦悩から解放しうるかを知悉しているということなのです。仏教の場合は、個別科学があつかう分野に関しては、いつでも譲歩する用意があり、そこで経典に述べられていることと食いちがった真理が提示されたからといって、なんら争う必要はないのです。
39  法然
 (一一三三年~一二一二年)一一七五年、専修念仏をとなえ、日本浄土宗を開く。
 ルドルフ・ブルトマン
 (一八八四年―一九七六年)ドイツのプロテスタント神学者。ナチスのユダヤ人抑圧政策を批判し、さらに新約聖書の非神話化を提唱。戦後も影響をあたえた。
 レッシング
 (一七二九年―八一年)ドイツの劇作家、批評家。啓蒙思想家としての批評活動、および市民のための戯曲の創作活動をとおし、近代ドイツ文学の基礎づくりに挺身した。
 カルヴァン
 (一五〇九年―六四年)フランス生まれのスイスの宗教改革者。プロテスタント教会の形成に大きな影響力をおよぼした。一五四一年以後、ジュネーブで厳格な聖書主義に根ざした神権政治をおこなった。
 ナタン・ゼーデルブロム
 (一八六六年―一九三一年)スウェーデンのルター派神学者。世界的に教会合同運動を推進。一九三〇年のノーベル平和賞受賞。
 ニューマン
 (一八〇一年―九〇年)イギリスの神学者、詩人。オックスフォード運動の指導者の一人。のちに英国国教会に疑問をもちカトリックに改宗。著書『アポロギア』等。

1
37