Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

4 人間の善悪両面性  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
7  この問題に関連して、ソクラテスの業績を二つあげることができると思います。まず彼は、持続的な自己吟味の必要性を強調しており、反省なき人生はまったく価値がないと見ています。つぎに、教育の任務は、学習者の魂の誕生を監視し、その魂からより良いものをつぎからつぎへとひきだすことにあるとし、産婆術にたとえました。両方とも、個人の自己完成論への示唆と理解できます。
 ただ、ソクラテスは、はじめから知っていて不正な行為をするものはだれもいない、という確信から、この習得過程を多分に知的に解釈しすぎて、たんなる“善の認識への登り口”としており、“倫理化への入口”だとはみなしていません。そこで、ソクラテスにおいては、倫理的人格形成が理論的なそれに限定されてしまったのです。
 これに修正と補足をほどこしたのが、アリストテレスでした。彼はまず、悪の由来を分析することによって、ソクラテス的「知性主義」を乗り越え、つぎに、人間存在のさまざまな意味づけを区別しました。
 悪は性格的弱さから、すなわち、良心が感情や情熱によって打ち負かされるということからおこりうるのです。このことは、あなたご自身が、抑制がきかない可能性として見ておられる一例です。しかし、また悪というのは、誤った教育や歪められた教育によっても、あるいは、まったくの無規律からも生じます。
 これは、教育上の欠陥に由来する場合です。悪魔や悪霊が人間の精神を占有するという、いわゆる「不当な神秘」と呼ばれるキリスト教的伝承は、アリストテレスにとっては異質なもので、彼は認めなかったことでしょう。むしろ、アリストテレスはそのような考え方は人間にとっての屈辱であり、隷属化と見たにちがいありません。
 二番目の説でアリストテレスは、“快楽の人生”、“実践的行為(政治)の人生”、そして“認識の人生”を区別しています。ここでは、仏教の段階的秩序に、少なくとも傾向として近づいているものが考えられているといえるでしょう。
8  池田 なるほど。仏教においても、釈尊の教えやその後のインドの論師たちの段階では、十界はバラバラのかたちでは示されていましたが、一人の人間生命にそなわる状態の多様性として、まとまったかたちでは説かれませんでした。これを一つの体系としてまとめあげ、人々の自己省察の規範として確立したのが中国の天台大師でした。
 いま言われたように、ヨーロッパでも、アリストテレスなどいく人かの哲人は、この仏教の十界論に近いものを説いてきたのでしょうが、それが体系化されるとともに、そうした教えが人々の自己反省のうえで、みずからの生命状態を明確に映しだす鏡となり、自身の生命的向上の手がかりとなっていくことが、なにより望まれますね。
 天台大師(五三八年―九七年) インド以来の大乗仏教の真髄を正しく伝えるために天台宗を開く。法華経の思想を根本に新たな中国的仏教を築き、その後の中国、日本の仏教の展開に大きな影響をあたえた。

1
7