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日蓮大聖人・池田大作

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2 勤労の倫理  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

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8  デルボラフ どんな勤労道徳も状況に依存しているということを示すもう一つ別の例に、西洋流の工業国のほとんどが体験した、完全雇用経済から景気型や構造型の恐慌経済への変遷があります。社会福祉国家の成果が無制限に効力を発揮できた一九六〇年代、七〇年代は、ドイツの勤労道徳もかなりいいかげんで、いわゆる「仮病で休む」ことも大目にみられました。
 しかし、このいいかげんさは失業者が増加するにつれてすみやかに消えうせました。だれも職を失いたくないからです。また、それは生活水準をたもちたいという理由だけではなく、職務のなかに一種の人生の意味を見いだしているからなのです。そのための犠牲は惜しみませんし、場合によっては、自分の教育水準以下の仕事さえやれるのです。
 だからといって、ドイツ人労働者が勤務時間短縮を迷惑がるということではありません。自由時間をフルに使いこなすだけの趣味は、たいていの人がもっています。ドイツ人労働者が時間短縮を有意義で適切だと考えるのは、それによって失業がなくなる場合のみですが、これは無理な話です。
 したがって、職業訓練や就業の可能性がなくなり、職を失ったり、また短期・長期の失業状態がつづくということは、社会生活参加の機会を奪われる若い世代にとっても、また、仕事に自分を賭けてきた中年の世代にとっても、そして、まだ壮健であるがゆえにスクラップにされたくないと思っている高年労働者にとっても、じつに不幸な事態です。
 こうした状況が示唆しているのは、失業が増大するにつれて、労働というものが、皆が肯定し、喜んで努力し、献身的につとめたいと願うような価値ある社会的・文化的財産へとふたたび昇格するだろうということです。
 もちろん、遠い将来には事情も変わってくるかもしれません。ただ、完全雇用にもどることは構造的に不可能ですし、それと関連して、失業率の高い状態がつづくかと思います。こうした状況をまえにして、社会の能率基準を修正する必要性も生じうるでしょう。つまり、ダニエル・ベルが提言したような、労働から解放された生き方に特有な快楽主義的基準が、これに取ってかわるかもしれません。
 しかし、それはたんなる心理学的修正でしかないでしょう。経済の生産性が維持され、労働の恩恵に浴さない人々も生活を保障されたとしても、結局、業績を優先する基準に変化はないと思います。この問題について、日本の場合はいかがでしょうか。
9  池田 少なくとも現在の世代についていえば、労働せずにすむことを恩恵と感じる日本人は少数で、大多数はむしろ苦痛を感じるでしょう。しかし、若い世代には、現在でも労働せずにすむのをありがたがる人々がふえており、これは将来、ますますふえてくると思われます。
 そこで支配的になっていくのは、たぶん快楽主義的風潮です。生産部門はオートメーション化され、働くのはロボットで、人間の多くは働かないで、快楽の追求に身をひたしているといった時代が、あるいは来るのかもしれません。しかし、私は、結局は、多くの人々がそうした生活にむなしさをおぼえて、人間自身が労働していく道にもどるのではないかと思います。
10  マックス・ウェーバー(一八六四年―一九二〇年) ドイツの経済・社会学者。経済行為や宗教現象の意味を把握する社会学的理論を構築した。著書は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『経済と社会』他。
 カルヴィニズム フランスの宗教改革者カルヴァン(一五〇九年―六四年)がとなえた教説で、神の絶対的権威、禁欲的信仰生活等を柱とする。
 マルクス(一八一八年―八三年) ドイツの哲学者、経済学者。エンゲルスとともに科学的社会主義を主張し、資本主義経済の没落後に共産主義が到来する必然性を理論的に追究。『資本論』を著し、国際共産主義運動を推進した。
 テオドア・リット(一八八〇年―一九六二年) ドイツの哲学者。ボン大学教授で、デルボラフ教授の前任者。精神科学、現象学、弁証法の成果をもとに教育学の体系化をめざした。
 ダニエル・ベル(一九一九年―) アメリカの社会学者、ジャーナリスト。ハーバード大学名誉教授。著書に『脱工業社会の到来』『イデオロギーの終焉』。

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