Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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序文  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
3  人類が未来へ向かって存続しようとすれば、まもなく終わろうとする二十世紀において、ますます大きくなっている諸問題に対して、一つの解答を見いださねばならないことは自明の理です。その解答というのは、私たち共著者が信じているように、まだ知られていない「新しい人間像」の確立にのみあるはずです。したがって、私たちは、「新たな人間像への途上にて」とか、「その途上にある」といった名称を選ばず、むしろ、「求めて」という言葉のもつ弁証法を恃んだわけです。この弁証法は最初、プラトンが発見し、のちに、アウグスティヌスが神への求道に転用しました。またその意味では東洋の伝統においても、「菩提(悟り)を求める人」すなわち菩薩として存在しています。悟りに到達した人を「仏」といい、その仏の悟りの境界にいたる道が法華経に示されています。
 求める者は、求めているものがまだないことを知っていますが、本来何を求めているのかを自覚しています。つまり、少なくとも、その根本的傾向というものを先取りしているわけです。ゆえに、アウグスティヌスは自分の神への関係を、もし私が汝をすでに見つけていなかったのであれば、汝を捜し求めることはしなかった、と表現することができたのです。興味深いことに、日本の偉大な宗教改革者である日蓮大聖人は、同じような意味で「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」と述べています。私たちも、要求されている解答らしい何かをすでに知っておりますし、あるいは、少なくとも形式的にその輪郭をえがくことはできます。
4  ただ、しっかりした専門知識と懸命な責任感、また、強固な自制心をもってのみ、将来に待ち受けるものをこなすことができるのではないかと思います。たしかに、われわれは、未来を自分で形成していくわけですが、時折、軽率にも成り行きにまかせてしまいます。自分のつくりだしたものは、たいてい、硬直した事象構造としてわれわれに返ってきて、それがわれわれの将来に――ちょうど良いぐあいにはいきませんが――運命の刻印を押すことになるのです。この「新しい人間性」の形態は一つの内面的革命を前提とします。そして、その革命は、利己主義や商業主義、また、イデオロギーといったものに支配されるうわべだけの行動規範を克服するとともに、東西両洋の文化的伝統と、その核心である仏教とキリスト教という宗教の、正当で深い要請に向けてわれわれが解放されるような、急激な精神性の変遷を意味しています。本書の題名の解釈にさいしては、このことをつねに考慮していただきたいと思います。
 最後に、この対談の翻訳のためにご尽力いただいたリチャード・ゲージ氏、エルケ・ヤルヌート博士、松戸行雄氏に心からの謝意を表します。
   一九八七年六月
       ヨーゼフ・デルボラフ
       池田 大作
5  追 記
 この対談が完結して原稿の最終整理段階にあった一九八七年七月十四日、デルボラフ教授の突然の訃報に接しました。
 教授はそれに先立つ一カ月ほど前から体調をくずされ、ボンの病院に入院しておられましたが、病床にあってもなおこの対談集の原稿をはなさず、いつも目をとおしておられたとうかがいました。その後、愛嬢のエルケ・ヤルヌート博士が最終原稿を検討し完成してくださり、翌八八年三月、ドイツ語版『Auf der Suche nacheiner neuen Humanitat(新しい人間像を求めて)』が、ニュフェンブルガー社から発刊されました。
 そしてさらに、このほど、英語版『Search for a New Humanity』とともに日本語版が上梓されることは、亡きデルボラフ教授も、なによりの贐として喜んでおられると信じています。なお、日本語版の題名については、本対談のテーマをふまえ『二十一世紀への人間と哲学』と改題いたしました。
   一九八八年九月
       教授の御冥福を衷心より祈りつつ
       池田 大作

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