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日蓮大聖人・池田大作

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10 三武一宗の難と民衆

「私の釈尊観」「私の仏教観」「続・私の仏教観」(池田大作全集第12巻)

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3  :中国仏教の特質
 松本 弾圧に抵抗した仏教者は、第一回の北魏・太武帝の廃仏の際にもいましたが、これなどをみますと、中国仏教徒の根強さのようなものが感じられますね。
 たとえば四五二年に太武帝が崩じると、十月に即位した北魏・文成帝は、その二カ月後に早くも仏教復興の詔を発しています。それは廃仏期間中、七年間にわたって民間に潜伏してきた仏教徒が、直ちに熱狂的な復興運動を巻き起こした結果とみられます。北魏末には僧尼大衆二百万、仏寺三万有余といわれるほどの大教団に復興しました。
 池田 一般的にも「雨降って地固まる」などといわれるが、この北魏・太武帝による廃仏は、むしろ仏教者の覚醒を促し、仏教の隆盛をもたらした側面も見落とせない、ということですね。実際、それ以前には堕落し、腐敗した面もあった教団が、弾圧をうけたことによって立ち直り、かえって後の発展のための戒めとした姿もみられる。
 野崎 興味ぶかいことは、仏教復興の詔が下されると、それ以後、北魏においては仏像の彫刻が盛んになります。それも、大同(山西省)雲崗うんこうの大石窟として今日にまで伝えられているように、かなり大がかりな事業として進められています。これは、沙門統に任ぜられた曇曜どんようが、文成帝に奏上して開鑿かいさくの許可を得、いわば国家的事業として始めたものです。おそらく彼の意識の底には、もし将来、ふたたび廃仏政策がとられるようなことがあっても、巨大な石窟に仏像を刻んでおけば、やがて民衆が仏縁を結ぶことができるとの考えもあったのではないでしょうか。
 池田 たしかに、無形のものよりも、有形のものとして後世に遺そうとした意識のあらわれかもしれない。ということは、それほど太武帝の廃仏が徹底したものであったために、ことによると中国の各地から仏教が根絶されてしまうような危機を、仏教者が痛感したことも考えられる。現に、このころから中国では「末法思想」が現れていますね。
 松本 文化史的には、すでに敦煌(甘粛省)の石窟も造られていますし、西域地方の仏教芸術の影響を受けて、雲崗の石窟、続いて孝文帝の時代に龍門(江南省)の石窟が掘られたといわれています。しかし、より根本的な動機としては、さきほどから話題になってきたように、仏教者の主体的な意識の転換というか、廃仏による覚醒が大きな要因であったと思われます。
 また、いま野崎さんから指摘もあったように、第二回の北周・武帝の廃仏後にも、武帝の死後直ちに復興がなされ、五八一年に惰が建てられると、仏・道二教復興の詔が発せられています。とくに惰の文帝は熱心な信仰者となって、江南の天台教学を振興し、また華北の仏教界も再興させました。いわゆる隋・唐の仏教全盛時代は、ある意味では北周・武帝の廃仏という法難を発条として、そこから仏教界の革新の機運が盛り上がり、実現したともいえるのではないでしょうか。
 野崎 私も、そのように思います。というのは、後周・世宗の大淘汰と前の「三武の難」とを比較したときに、そこに仏教者の難に対する姿勢の違いがみられると感じたのも、まさにその一点にかかっているからです。
 北方の黄河流域を後周が支配していたころ、江南では呉越や南唐によって仏教保護政策がとられています。たとえば九五五年には、呉越では八万四千宝塔が鋳造されたりしていますが、同じ年に南唐は後周によって攻め込まれ、ここでも仏教淘汰政策がとられました。
 すでに十世紀ごろの仏教は、政治権力の保護にたよって、ようやく生き延びていた面と、打ち続く戦乱に巻き込まれてしまった弱さもみられます。かっての「三武の廃仏」といった法難をはね返すような、仏教復興の意気ごみは失われたようにも感じられますが……。
4  池田 そうですね。難を受け、たくさんの犠牲者を出すことは望ましいことではないが、その反面、真実の信仰者にとって諸難は覚倍のうえのことでなければならない。とくに今までみてきた「三武一宗の難」は、王法の難であったわけだが、それに臆することなく、敢然と挑戦して、自らの信仰を守りとおした多くの仏教者が存在した。また廃仏後、直ちに仏教の復興に取り組んだ信仰の姿勢というものは、われわれにとっても歴史の教訓としなければならないと思う。
 こうして「三武一宗の難」に象徴される幾度もの法難を通して、中国の仏教は民衆のなかに、そして中央官界から地方の諸国へと伝播していった。そこにも、中国仏教の一つの特質がありますね。
 もちろん、古代から中国の皇帝には絶対的権力があったが、その国家的規模の権力によって仏教が弘められたのではない。なかには熱心な崇仏皇帝もいたが、それだけでは宮中の一部で信仰されるだけで、まだ真に民衆の仏法にはなりきることができなかった。むしろ、王法による弾圧と廃仏という試練を経て、初めて仏教が中国の大地に根を下ろしていったのではないだろうか。
 松本 たしかに、いわゆる五胡十六国の時代に、戦乱と廃仏の嵐に巻き込まれて多くの仏教者が命を落としましたが、その時に江南に向かって法を弘め、さらに四川省や西方の奥地にまで踏み込んでいったことが、仏教を全中国に浸透させる結果ともなっていますね。江南仏教の隆盛や、民衆仏教の独自な存在として注目される三階教など、いずれも北魏、北周の廃仏と無関係ではないと思われます。
 野崎 おなじく「武帝」といっても、たとえば梁の武帝のように、熱心な崇仏皇帝も出ています。この時代、江南では最も仏教が隆盛をきわめましたが、これは北朝において弾圧された仏教者が多く南へ逃れて定着した結果ともいわれています。
 池田 梁の武帝については、もう少し詳しく検討していい重要人物ですが、これまで繰り返し述べてきたように、あくまで民衆の側から仏教史を捉えるという視点に立てば、かえって国家権力によって仏教が保護されたために、そこから弊害も生まれている。たとえば光宅寺の法雲などは、開善寺の智蔵、荘厳寺の僧旻そうびんとともに「梁の三大法師」などと称せられ、宮廷に出入りして武帝と仏教研究に従事したといわれる。後に天台大師が、この法雲を厳しく批判してやまなかったのも、そのような国家権力に迎合する姿勢がみられたからでしょう。
 松本 梁の武帝は″皇帝菩薩″などとも呼ばれたわけですが、天監十六年(五一七年)には天下の道士をすべて還俗させたために、梁にいた道士の多くは北斉に亡命したといわれています。すなわち、かつて北魏の太武帝による廃仏が原因となって、仏教者が江南に逃れたのとは対照的に、今度は道士が北へ逃げたわけです。
 池田 それも梁の武帝による仏教の国教化が招いた弊害の一つですね。彼は、自ら菩薩戒を受けたばかりでなく、皇太子以下四万八千人もの人びとに戒を受けさせたと伝えられている。だが、そのうち果たして何人が仏教を心から信奉した結果によるものか、はなはだ疑わしい。信仰というのは、権力の強制によってもたせるものではなく、あくまで自発能動の主体的意志によって受持されるものです。また、そうでなければ、ほんとうの信仰とはいえないし、民衆のあいだに広まるものでもない。
 野崎 これは西順蔵氏も指摘していますが、数千年にわたる中国の長い歴史上、さまざまな思想や宗教が流入してきましたが、そのうち最も永続し、かつ広範な層に定着したのは仏教である。たとえばネストリアニズムやゾロアスター教、あるいはイスラム教やイエズス派のキリスト教まで入っているが、その長期にわたる中国思想への影響性からいっても、他の外来思想で仏教に匹敵するものはない、ということです。
 池田 これまで中国仏教の一千年の歴史を概観したわけだが、たしかに、その指摘は鋭いものがあります。最初は異国の教えとして入ってきた仏教が、宮廷や貴族のあいだで異国趣味的にもてはやされた。やがて士大夫したいふから民衆のなかにも浸透し、幅広く根を下ろしていった。そして儒教や道教など、古くからの伝統思想と競合し、かつ影響しあって、いつのまにか中国独自の仏教というものを形成していった。それは、もはやインド伝来の仏教というより、中国の民衆が信奉し、それぞれの生命の奥深くに息づいた仏の教えとして、まさしく中国の仏教となっている。
 そのような経過により、韓・朝鮮半島を経て日本にも伝えられ、いわば仏教は三国伝来のものとなった。この広大なアジア大陸と、その周辺諸国の民衆に信仰された仏教は、今や世界宗教の一つとなっているが、その歴史において、中国の仏教とその信仰者が果たした役割は、まことに大きく、かつ重要であったといえるでしょう
5  おもな参考文献一覧
 『新編日蓮大聖人御書全集』創価学会版
 『妙法蓮華経並開結』
 『大正新情大蔵経』大正新情大蔵経刊行会
 『卍続蔵経』中国仏教会影印卍続蔵経委員会
 『国訳一切経』大東出版社
 『天台大師全集』日本仏書刊行会
 『二十五史』藝文印書館
6  布施浩岳著『中国仏教史要』山喜房仏書林
 道端良秀著『中国仏教史』〈改訂新版〉法蔵館
 山崎■著『陪唐仏教史の研究』法蔵館
 鎌田茂雄著『中国仏教思想史研究』春秋社
 鎌田茂雄著『中国華厳思想史の研究』東京大学出版会
 玉城康四郎著『中国仏教思想の形成』筑摩書房
 武内義雄著『中国思想史』岩波書店
 龍谷大学編『中国仏教史』百華苑
 字野精一・中村元・玉城康四郎編『講座東洋思想6 仏教思想2 中国的展開』東京大学出版会
 塚本善隆著『中国仏教通史』(第一巻)鈴木学術財団
 塚本善隆著『中国中世仏教史論攷』大東出版社
 鎌田茂雄・上山春平著『無限の世界観〈華厳〉』(仏教の思想6)角川書店
 柳田聖山・梅原猛著『無の探求〈中国樋〉』(仏教の思想7)角川書店
 塚本善隆・梅原猛著『不安と欣求〈中国浄土〉』(仏教の思想8)角川書店
 常盤大定著『仏教と儒教道教』平凡社
 野村耀昌著『周武法難の研究』東出版
 道端良秀著『中国仏教と社会福祉事業』法蔵館
 道端良秀著『仏教と社会倫理中国仏教史の研究』法蔵館
 横超慧日著『中国佛教の研究』第二 法蔵館
 野上俊静・小川貫弌・牧田諦亮・野村耀昌・佐藤達玄著『仏教史概説』(中国篇)平楽寺書店
 『中国の仏教』(講座仏教4)大蔵出版
 増谷文雄著『東洋思想の形成』富山房
 川勝義雄著『魏晋南北朝』(中国の歴史3)講談社
 陳垣撰『釈氏疑年録』中華書局
7  宇井伯寿著『仏教経典史』東成出版社
 渡辺照宏編『仏教の東漸と道教』(思想の歴史4)平凡社
 塚本善隆編『唐とインド』(世界の歴史4)中央公論社
 深田久弥・長沢和俊著『シルクロード』白水社
 長沢和俊著『敦煌』第三文明社
 長沢和俊著『楼蘭王国』第三文明社
 長沢和俊一訳『玄奘法師西域紀行』桃源社
 長沢和俊訳注『法顕伝・宋雲行紀』平凡社
 白鳥庫吉著『西域史研究』岩波書店
 神田喜一郎著『敦煌学五十年』筑摩書房
 井上靖著『西域物語』朝日新聞社
 羽田明著『西域』(世界の歴史10)河出書房新社
 松岡譲著『敦煌物語』日下部書店
 金岡照光著『敦煌の文学』大蔵出版
 宮崎市定著『大唐帝国』(世界の歴史7)河出書房新社
 塚本善隆編『肇論研究』法蔵館
 牧田諦亮編『弘明集研究』京都大学人文科学研究所
 長広敏雄著『雲崗と龍門――中国の石窟美術』中央公論美術出版
 宇井伯寿著『釈道安研究』岩波書店
 塩田義遜著『法華教学史の研究』地方書院
 坂本幸男編『法華経の思想と文化』平楽寺書店
 坂本幸男編『法華経の中国的展開』平楽寺書店
 横超慧日編『法華思想』平楽寺書店
 横超慧日著『法華思想の研究』平楽寺書店
 金倉圓照編『法華経の成立と展開』平楽寺書店
 玉城康四郎著『心把捉の展開』山喜房仏書林
 関口真大著『天台止観の研究』岩波書店
 京戸慈光著『天台大師の生涯』第三文明社
 佐藤哲英著『天台大師の研究』百華苑
 安藤俊雄著『天台学』平楽寺書店
 島地大等著『天台教学史』明治書院
 福田堯穎著『天台学概論』三省堂
 福田堯穎著『続天台学概論』文一出版
 佐々木憲徳著『天台教学』百華苑
 山口光円著『天台概説』法蔵館
 安藤俊雄著『天台性具思想論』法蔵館
 関口真大著『天台小止観の研究』山喜房仏書林
 田村芳朗・梅原猛著『絶対の真理〈天台〉』(仏教の思想5)角川書店
 日比宣正著『唐代天台学序説』山喜房仏書林
8  吉川幸次郎著『漢の武帝』岩波書店
 森三樹三郎著『梁の武帝』平楽寺書店
 吉川忠夫著『侯景の乱始末記』中央公論社
 前嶋信次著『玄奘三蔵』岩波書店
 『大唐西域記』(中国古典文学大系辺22)平凡社
 三枝充悳著『仏教小年表』大蔵出版
 松田寿男・森鹿三編『アジア歴史地図』平凡社

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