Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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7 四維摩詰と在家菩薩  

「私の釈尊観」「私の仏教観」「続・私の仏教観」(池田大作全集第12巻)

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3  菩薩の利他の実践
 さて、羅什三蔵訳の『維摩経』では、問疾品第五から入不二法門品第九までが中巻をなし、舞台はいよいよヴィマラキールティの病室である「方丈」に移ります。
 維摩詰の病気見舞いの役を引き受けたマンジュシュリー(文殊師利)菩薩が、八千の菩薩と五百人の声聞弟子、それに百千の天人を従えていく。この場面は敦煌莫高窟の壁画にも描かれていますが、維摩と文殊が対話することになれば、さぞかし面白い話が聴けるであろうと思って、みな胸をわくわくさせてついてくる。
 野崎 文殊菩薩の一行を待ちうけていた維摩居士は、方丈を空っぽにして寝台だけを置いていた。不思議なことに、わずか三メートル四方の方丈の部屋に、やって来た全員が入ってしまうのですね。合理的な思考法の持ち主には、ちょっと理解しにくい話ですが……。
 池田 それは、舎利弗が懐いたのと、まったく同じ疑問であった(笑い)。不思議品第六において、維摩詰が答えている。
 「シャーリプトラよ、あらゆる仏と菩薩が得ている悟りに、不可思議と名づける法門がある。もし菩薩にしてこの悟りに入ると、あの広大なる須弥山も、小さな芥子粒の中に入れても増減することがない。須弥山の眺めも元のままであるし、四天王や忉利天はどこに自分たちが入ったかを覚知することもない。ただ、まさに悟りを開く者のみが、須弥山が芥子の中に入ったのを知っているだけである。これを不可思議解脱の法門と名づけるのだ」(大正十四巻546㌻、参照)
 要するにこれは、大乗の「空」の思想を説いているところですね。文殊と維摩との対話も、そのやりとりは、すべて「空」の立場を踏まえて展開されている。それは、入不二法門品第九にいたって、さまざまな角度から考察が加えられ、有るのでもなく無いのでもなく、生ずるのでもなく滅するのでもなく、有為でもなく無為でもなく……といった、思議すべからざる「不二」の法門、すなわち絶対的一元論の世界が打ち出される。
 松本 そのような境地を得るためには、菩薩はいかなる実践をなすべきか、ということですが……。
 池田 そう、そこが大事なところですね。問疾品第五では、文殊が維摩に病気見舞いの口上を述べ、なぜ病気になったのかを訊いている。それに対して維摩は、菩薩が病むのは一切衆生を救わんがためであるとして、それは大慈悲心によるものであると答える有名な件があるね。ちょっと長くなるが、そこを読んでみたらどうだろう。
 松本 有名な一節ですので、格調高い鳩摩羅什訳の読み下し文で読んでみます。
 「癡より愛あり、則ち我が病、生ず。一切衆生の病むを以て是の故に我れ病む。若し一切衆生の病、減せば、則ち我が病も減す。ゆえんはいかん。菩薩は、衆生の為の故に、生死に入る。生死あれば、則ち病あり。若し衆生、病を離るるを得ば、則ち菩薩は、復病む無し。譬えば、長者に唯一子あり、其の子、病を得ば、父母も亦病み、若し子の病愈ゆれば、父母も亦愈ゆるが如し。菩薩も是の如し。諸衆生に於て之を愛すること、子の若し。衆生病めば、則ち菩薩も病み、衆生の病愈ゆれば、菩薩も亦愈ゆ。又『是の疾は何の所因より起れる』と言うは、菩薩の病なるものは、大悲を以て起るなり」(大正十四巻544㌻)と。
 池田 これでみると、維摩の病気というのは、肉体的な不調というより、精神的なものですね。一般的にも、健康体の人には病人の苦しみはわからないといわれるように、他人の苦しみをわが苦しみとしてともに悩むということは、なかなかできないものだ。仏は「少病少悩」といわれるけれども、一切衆生の異の苦しみをわが苦しみとして悩むところに、仏法の精神があるといえる。
 ところが、小乗の二乗というのは、その釈尊の精神を忘れて、自分だけの修行の完成を追求していた。それに対して大乗の菩薩は、利他の実践によって仏になろうとしていたので、まず衆生の苦しみをわが苦しみとする境地に立たなければならない。
 ――維摩居士のいわんとしているところは、そこにあったわけですね。
 野崎 また維摩詰は、菩薩の実践について次のように述べています。
 「あらゆる仏国土は、虚空のように生滅もなく、永遠であることを観じながら、しかも仏土を清浄にするために、さらに精進努力する。これが菩薩の実践である。仏道を求め、法を説き、涅槃の境地に入っても、なお菩薩としての修行を捨てないのが、まさに菩薩行というものだ」(大正十四巻545㌻、参照)
 この話を聞いて、マンジュシュリー(文殊師利)とともに来た八千の天子が、無上の悟りを得た、と説かれています。
 池田 すなわち大乗の菩薩というのは、自ら菩薩としての修行をまっとうするとともに、この現実社会に仏国士、つまり理想世界を建設しようと努力する者だ。声聞の阿羅漢のように、自身の煩悩を断滅することのみに汲々とするのではなく、煩悩即菩提、生死即涅槃の境地にあって、絶えず衆生にはたらきかけ、仏国土を建設しようとする。そこに大乗の菩薩の崇高な使命があるといえよう。
 松本 そのような維摩と文殊の「菩薩」に関する格調高い対話が一段落すると、ヴィマラキールティ家に仕えている天女が、とつぜん現れ、美しい天の花を降りそそぐ。ところが、菩薩たちの身体に降りかかった花は地に落ちたけれども、声聞の弟子たちの身体には、ぴたッとくっついて離れない。
 野崎 面白いですね。舎利弗などは盛んに振り落とそうとするが、なかなかとれない。(笑い)天女は笑いながら、舎利弗に訊く。
 「シャーリプトラさま、なぜ花を取ろうとなさるのですか」
 すると、舎利弗が答えていう。
 「天女よ、これらの花は、出家の身にはふさわしくないものであるから、取り去ろうとしているのです」(大正十四巻547㌻、参照)
 池田 この維摩家の天女は、なかなかのしっかり者だね。釈尊の教団の「智慧第一」の舎利弗を向こうにまわして、堂々とわたりあっている。
 彼女は、花のほうには分別がないのに、声聞の弟子には思慮分別があるから、花が付着するのだ、という。つまり、生死輪廻の恐怖におののく修行者には、そのすきを魔が狙うように、色・声・香・味・触の煩悩がわざわいをなすということだ。
 野崎 ここで舎利弗は、一本とられたわけですね(笑い)。そのうえ「天女よ、あなたはなぜ女身を転じないのか」と訊いたものだから、たちまちにして天女の神通力により、女性にされてしまう。いまにも泣きだしそうな舎利弗の姿が、目に浮かぶようですね。(笑い)
 池田 そう、二乗というのは、どうしても差別観を抜けだせないようだね。一切平等の仏法の立場からすれば、「男女は嫌うべからず」であって、天女も「一切の諸法は、非男非女なり」という釈尊の言葉を引いている。舎利弗が女身になり、天女が変じて男子となるという設定は、『法華経』の「変成男子」の思想に近いものがある。
 それから、この天女の話で重要なのは、維摩の家に入った者は、だれでも仏の功徳の香りを願い、悟りを求める心を起こして出てくる、といっているところですね。ほんとうに立派な信仰者の周辺には、やはりそれだけの感化力があるということでしょう。
4  不思議の法門
 松本 一般に『維摩経』というのは、劇的構成において優れた作品であるといわれていますが、たしかにいまのシャーリプトラと天女の対話の部分などは、そのまま笑劇にでもなるような、おかしみがありますね。
 さて、それはそれとして、維摩と文殊の息づまるような白熱の対話は、いよいよ佳境に入り、仏道品第八では「仏の悟り」をめぐる論議があり、入不二法門品第九では三十二人の菩薩が「不二の法門」を、さまざまな角度から究明していきます。
 池田 この入不二法門品は、『維摩経』の圧巻ともいうべきところで、古来「維摩の一黙、雷鳴の如し」といわれる有名な部分ですね。「不二の法門」とは何かとの問いに対して、同座の菩薩たちは、それぞれ自己の見解を述べるのだが、最後に維摩が答える段になって、彼は一言も発せず黙っている。これは「不二」の境地が本来、「言語道断・心行所減」の境地であることを、維摩は態度によって示しているわけです。
 野崎 対話の名手であった維摩が、ただの一言も発しないのを見て、マンジュシュリー(文殊師利)は大いに感嘆し「善きかな、善きかな、これこそ菩薩が不二の法門に入ることであって、そこには文字も言葉もない」(大正十四巻551㌻、参照)という。これによって、その場に居合わせた五千の菩薩は、不二の法門に入り、無生法忍を得た、と経典は伝えています。
 松本 そこで『維摩経』は下巻に入り、香積仏品第十から嘱累品第十四にいたって終わるわけです。ここでは、衆香国という名の国土で、すばらしい香りをもって説法している香積仏の話が面白いですね。
 池田 その前に、維摩と文殊の長時間にわたる対話も、そろそろ昼どきになってくると、舎利弗が内心ひそかに昼食の心配を始めるところなどは、煩悩を断ずる二乗の修行者である舎利弗を皮肉っていると同時に、人間の心理状態を心憎いばかりに捉えているね。(笑い)
 これは、当時の出家修行者が、正午過ぎに食事をとることを禁じられていたという事情があるけれども、舎利弗のそわそわした態度を見てとった維摩が「食事の心配をしながら、法を聴けますか?」と、舎利弗の痛いところをついている。そして「もし食事がしたければ、しばらく待ちなさい。まだ一度も味わったことのないような食事を差し上げますから」(大正十四巻552㌻、参照)といって、衆香国から香りの食事を取り寄せるわけだ。
 松本 維摩詰の使いの者が衆香国にやってくると、そこでは言葉や文字によらずに、香りによる説法がおこなわれている。この国には、声聞や縁覚の二乗は存在せず、ただ清浄な優れた菩薩だけがいるので、すばらしい香りさえあれば十分である、という。仏の説法の仕方にも、いろいろな方法があるものですね。
 池田 なんだかお伽噺みたいだが、衆香国のありさまが、維摩の部屋にいた何万の大衆に、手にとるように見えた、とあるね。それだけ大乗経典の作者の想像力が豊かであったともいえるし、また生命の不可思議な法則を説いたのが仏法であることを示すために、凡人の想像を絶するような手法を用いたともいえるでしょう。
 また、衆香国から裟婆世界を見たときに、この世界は五濁悪世で、つまらないことを願い求める根性曲がりの衆生が多く、釈尊や菩薩たちがたいへんな苦労をしている、というのも面白い。そのため裟婆世界では、仏は強い言葉で法を説かざるをえず、菩薩たちも願って悪趣におもむき、獅子奮迅の戦いをせざるをえないのだ、という。
 野崎 そこでヴィマラキールティ(維摩詰)は、そのような衆香国の菩薩の指摘をうけて、裟婆世界の菩薩には「十種の善」があると答える。これは、六波羅蜜を中心とする実践項目を挙げたものですが、当時の大乗の戒と目されているものですね。小乗の二百五十戒とか五百戒に比べて、ずっと簡略化されているのが特徴です。
 松本 そのあと、やはり裟婆世界の菩薩が実践すベき規範として「八法」が説かれています。これは現代人の実践倫理としても通用する部分があると思われますので、読んでみます。
 「一、世の人に利益を与えても、その報酬を望まない。二、一切衆生のあらゆる苦悩を身に受ける。三、所作の功徳は、ことごとく他に与える。四、世の人を分けへだてなく平等に見て、自らへりくだり、心に障りを生じない。諸菩薩に対しては、仏のごとくに見る。五、未聞の経を聞いても、これを疑わず、小乗の人(声聞)とも争うことをしない。六、他人の受ける供養を嫉まず、おのれの利得を誇らず、心を抑制する。七、自らの過ちを反省し、他人の欠点を口にしない。八、常に不動の心をもって、さまざまな功徳を求める」(大正十四巻五五三ぺージ、参照)
 池田 これは、民衆救済の利他の実践に真剣に打ち込んでいけば、自然と得られるのだということですね。小乗の戒律のように、修行として窮屈に縛りつけるものとは根本的に異なっている。
 野崎 このあと経典は、菩薩行品第十一にいたって、ふたたび舞台をアームパーリー樹園に移し、見阿閦仏品第十二において維摩の本地が明かされ、最後にマイトレーヤ(弥勅)とアーナンダ(阿難)に付嘱されて終わります。そして、この経典の別名を「不可思議解脱の法門」と呼んでいます。
 池田 たしかに維摩詰というのは、不思議な人物ですね。その利他の実践の姿というものは、示唆に富んでいます。仏法は深遠なる思想であるとともに、日々、現実社会のなかで生きる人びとの悩みといかに取り組み、それを打開していくかという実践論であるからです。

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