Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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7 釈尊の入滅  

「私の釈尊観」「私の仏教観」「続・私の仏教観」(池田大作全集第12巻)

前後
3  鍛冶工チュンダ
 野崎 この雨安居うあんご期が明けて、チャーパーラという霊樹の下に休んでいたとき、釈尊は「この世界は美しく、この世に生きることは楽しいことだ」という感懐をもらしたことが伝えられていますね。
 池田 これは、いささか文学者的な眼があるようにも思えるが、釈尊の生涯を振り返っての、偽らざる実感として、滋味あふれる言葉ですね。人間、死期を感じたとき、この世界を、どのような心境でみられるか、これは芥川龍之介が、自殺の直前に「自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。(中略)僕の末期の目に映るからである」(『芥川龍之介全集』8、筑摩書房)と言い残しているが、おそらく釈尊の、この言葉には、惜別する現世への感傷ではなく、所願満足の、充実した自己の境涯への感慨が込められていると私には感ぜられます。
 野崎 美しい眺めのヴァイシャーリ(毘舎離)に別れを告げ、釈尊は、アーナンダ(阿難)と連れ立って、なお、法の旅を続ける。その間、いくつかの村を皆、その場所ごとに、法を説いたあとで訪れた先は、パーヴァー村であった。ここで釈尊は、この町の鍛冶工チュンダ(純陀)から手厚いもてなしをうけ、チュンダの所有するマンゴー林に、しばし滞在した。
 池田 チュンダというのは、まったく名もなき鍛冶工であるが、この人物が、釈尊の入滅に直接かかわることとなってしまった。チュンダは、釈尊から種々の説法を聞き、また自らも質問して、数々の教えをうけた。
 それで感動したチュンダは、釈尊に、真心からの食事の供養をした。この食物は、きのこ料理であったといわれるが、おそらく喜びに打ちふるえたチュンダの、誠心誠意の供養であったのであろう。
 釈尊も、このチュンダの純粋な心をうけ、彼に、王族やバラモンたちと何ら変わることのない丁寧な言葉と礼儀をもって接した、といわれる。
 野崎 しかし、不幸なことに、身体の衰弱していた釈尊にとって、チュンダの捧げた食物が、かえって病を誘発する原因になってしまった。釈尊は、食事後、ふたたび激しい苦痛を覚え、重い病にかかってしまった。
 ここでも、病名は明らかでないのですが、赤い血のまじった下痢といわれているところからみても、赤痢では、なかったかと考えられています。
 池田 しかし、釈尊は、けっしてチュンダをとがめることはなかった。否、むしろアーナンダに、チュンダを恨んではならないことを述べ、彼の真心の供養の姿勢を、称賛したとされています。、おそらく、これは、本当の釈尊の気持ちであったにちがいない。
 名もなき庶民が、純粋一途の気持ちから、供養したのです。それがもとで、病気が再発したとはいえ、それは一つの縁であってチュンダ自身に責任があるのでは、もとよりない。ともすれば、チュンダを責めようとする人間の心の機徴をとらえて、釈尊は、このように諭したのでしょう。
4  入涅槃
 野崎 釈尊は、激しい苦痛にもかかわらず、アーナンダ(阿難)をともなって、ふたたび弘教の旅に出ます。しかし、すでに八十を過ぎた高齢の肉体は、急速な衰えをみせ、病の再発は、その旅の前途をさえぎってしまった。
 それでも、ようやく着いたのが、クシナガラです。そして、ここが釈尊の最期の地となってしまった。
 池田 クシナガラは地図でみると、釈尊の故郷カピラヴァストゥ(迦毘羅衛)から、東南方にある町ですね。かなり距離はあるようだが、一歩一歩、カピラヴァストゥに近づいていたことは間違いない。
 しかし釈尊は、ついに、ここで動けなくなってしまった。
 野崎 クシナガラに到着すると、釈尊は、すぐシャーラ(沙羅)の双樹の間に赴き、そこに床を設けさせ、横たわったと記されています。シャーラの双樹というのは、わが国では、『平家物語』などで「沙羅双樹」と訳されて知られている樹ですが、クシナガラの一帯は、このシャーラ樹が、数多く繁っていたといわれます。現在でも、シャーラ樹は、このあたりの樹木として残っているそうですが、それが釈尊時代のものと関係があるのかどうか、不明です。
 いずれにしても、釈尊は、そのシャーラ双樹の間に、アーナンダに命じて床をつくらせ、そこに臥した。すでに確実に、死が近づいていることを自覚してのことであった。
 しかし、そういうなかでも、釈尊は説法したと伝えられています。シャーラ双樹に横たわっているとき、釈尊の滞在を聞きつけた行者スパドラが、一度、法を聞いておきたいと思って、たずねてきた。
 侍者アーナンダは、師の病を気づかつて、断ろうとし、二人のあいだで押し問答が続いた。
 それを聞いていた釈尊は、アーナンダを制止し、その行者を招いて質問を許した。そして、スパドラを心から歓喜させ、出家の決意を固めさせた。これが、釈尊最後の説法であったようです。
 池田 釈尊は、臨終の間際まで、説法をし続けていたということですね。使命と法に生きるものの、崇高にして偉大な人生を、みる思いがする。
 野崎 そして、その日の深更にいたって、八十年間の、純粋な魂の人生の幕を閉じたと伝えられています。亡くなった日は、わが国では二月十五日とされている。これは、インドで、成道のときにも出てきたヴァイシャーカ月の満月が、釈尊入滅とされているところに、由来しているようですね。
 仏伝では、釈尊の入滅の描写を、きわめて劇的に扱っている。
 「沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開となった。それらは、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。また天のマンダーラヴァ華は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ」(前出『ブッダ最後の旅』)
 いずれにしても、平穏と安定と調和と平和を、終始、自己の行動にあらわした釈尊にとって、その逝去の姿は、その生涯を閉じるにふさわしいものであったにちがいありません。
5  おもな参考文献一覧
 〈古代インドに関するもの〉
 コーサンビー著『インド古代史』(山崎利男訳)岩波書居
 中村元著『インド古代史』上下春秋社
 字井伯寿著『印度哲学研究』一〜六巻 富山房
 木村泰賢著『木村泰賢全集』一〜六巻 大法輪閣
 講座『東洋思想』一、五、六巻 東京大学出版会
 増谷文雄著『東洋思想の形成』富山
 河田清史著『ラーマーナヤ』上下 第三文明社
 〈釈尊の伝記に関するもの〉
 梵詩邦訳『仏陀の生涯』全二篇(平等遍昭訳)印度学研究所
 赤沼智善著『釈尊』法蔵館
 中村元著『ゴータマ・ブッダ』法蔵館
 増谷文雄著『仏陀』角川書店
 増谷文雄著『アーガマ資料による仏伝の研究』在家仏教協会
 渡辺照宏著『新釈尊伝』大法輪閣
 水野弘元著『釈尊の生涯』春秋社
 ヤスパース著『仏陀と龍樹』(峰島旭雄訳)理想社
 増谷文雄著『ブッダ・ゴータマの弟子たち』講談社
 中村元訳『ブッダ最後の旅』岩波文庫
 〈仏教経典に関するもの〉
 『新編日蓮大聖人御書全集』創価学会版
 中村元編『仏典』筑摩書房
 『大正新脩大蔵経』大正新脩大蔵経刊行会
 『南伝大蔵経』大正新脩大蔵経刊行会
 字井伯寿著『仏教経典史』東成出版社
 岩野真雄編『国訳一切経・印度撰述部・阿含部』大東出版社
 世界の名著『原始仏典』中央公論社
 世界の名著『大乗仏典』中央公論社
 『妙法蓮華経並開結』
 坂本幸男・岩本裕訳注『法華経』三巻 岩波文庫
 中村元訳『ブッダのことばスッタニパータ』岩波文庫
 〈仏教思想一般に関するもの〉
 仏誕二千五百年記念会著『仏教学の諸問題』岩波書店
 全集『仏教の思想』全十二巻角川書店
 渡辺照宏著『仏教』岩波新書
 岩本裕著『佛教入門』中公新書
 田村芳朗著『法華経』中公新書
 中村元著『原始仏教』NHKブックス
 末木剛博著『東洋の合理思想』現代新書
 〈インドに関する紀行・評論等〉
 J・ネルー著『インドの発見』上下(辻直四郎・飯塚浩二・蝋山芳郎訳)岩波書店
 森本哲郎著『文明への旅』新潮選書
 中根千枝著『未聞の顔・文明の顔』中央公論社
 中村元著『東洋人の思惟方法』春秋社
 『タゴール著作集』第八巻 第三文明社
 『芥川龍之介全集』8 筑摩書房

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