Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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3 釈尊の成道  

「私の釈尊観」「私の仏教観」「続・私の仏教観」(池田大作全集第12巻)

前後
4  釈迦仏法の悟り
 野崎 一般に仏典には、このときの釈尊の正覚の内容について、さまざまな表現をしています。それらを一つ一つ吟味していきますと、いったい、どれが本当の釈尊の悟りであったのか、判断がつきかねる状況ですが、阿含部経典のいっているのをまとめてみますと、まず釈尊成道の夜は三段階に分けられています。それは初夜、中夜、後夜で、このうち最後の後夜のとき、大悟を開いたといわれます。
 池田 その三段階は、初更、第二更、第三更ともいわれる。釈尊の境涯が、深更とともに深まり、揺るぎないものとなっていったことをあらわしている。それで一般には、初夜の段階で過去世に関する明察、中夜で未来についての確かなる智慧、後夜にいたって、人間世界の真理についての、不動の確信、信念が立てられたということになっている。
 野崎 その部分を、一応の参考として経典から引用しますと、まず菩提樹下での思惟観察が進むと、四禅が確立した。この四禅というのは、第一禅が欲求と悪から離脱した状態、第二禅が心の雑念を払いのけ、ただひたすら思惟観察に耽っていることからくる喜び、第三禅が、そこから進んで、その喜びすらも超えて、ただ平静で安楽にとどまっている境涯、そして第四禅が、もはやそうした楽しさも苦しみも、憂いも喜びもない清浄そのものの境涯といわれています。
 池田 普通これらの四禅は、仏教だけでなく、当時の修行者が、やはり理想としていた境地で、とくに第三禅、四禅が聖者とされ、優れた出家者は体得することができたといわれている。ただ、バラモンやその他の修行においては、この四禅を獲得すれば、もう目的は達成されたことになる。しかし、四禅は三界でいえば欲界の惑を離れ色界に生ずるとされているが、それだけでは真実の悟りにはならない。だから釈尊は、まずこの四禅を確立したあと、そこにとどまらず、次に進んでいったとなっているわけでしょう。
 野崎 それが、まず第一更、すなわち初夜の明察ですね。
 「(四禅を成就して)心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで、確立し不動となったときに、過去の生涯を想い起す知に心を向けた。かくしてわれは種々の過去の生涯を想い起した。すなわち『一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯、四つの生涯、五つの生涯、十の
 生涯、二十の生涯、三十の生涯、四十の生涯、五十の生涯、百の生涯、千の生涯、百千の生涯を、幾多の宇宙成立期、幾多の宇宙破壊期、幾多の宇宙成立破壊期を。われはそこにおいて、これこれの名であり、これこれの姓であり、これこれの種姓であり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受し、これこれの死にかたをした。そこで死んでから、かしこに生れた』と。
 〔次にかしこに生れてからも、また同様のことを想い起こした。〕かくのごとく、われはその一々の相及び詳細の状況とともに幾多の過去の生涯を想い起した。これが夜の初更において達せられた第一の明知である。ここに無明が滅びて明知が生じたのである。闇黒は消滅して、光明が生じた。それがつとめはげみ努力精励しつつある者に現われるがごとくに」(前出『仏典』)
 池田 要するに、その文は、釈尊が自らの生命の三世を通観したことを示している。人間の生命は、けっして現世だけのものではない。それをバラモンなどでは輪廻転生という形で説いてきたわけだが、釈尊はこの夜、はっきりと過去世における自分の生命、存在というものを覚知できた。境涯が奥深く広がっていくうちに、菩提樹下に瞑想している現在の刹那の自分が、じつは過去久遠から生じては滅し、減してはまた生まれるという、その不断の連続であったことを、ありありと想い出したにちがいない。
 それは自覚などということではない。また、観念でそう考えたとか、思ったとかというものでもない。ちょうどわれわれも、日ごろは現実の生活の波に押し流されて忘れているものを、なにか緊張したり、極度に真剣になって追究していくと、まるでクモの糸をほぐすように、忘れていた事柄を思い出すことがある。それと、釈尊のその時の状態とを同視することは、もちろんできないにしても、釈尊が得た体験というものは、けっして超現実的なものではないのです。
 今の引用の最後の部分に「ここに無明が滅びて明知が生じたのである」とあるが、結局、人間が自身の今日の現実の存在を明確に知覚できないのは、無明つまり根本の生命の濁り、迷いにあるからです。釈尊は、まずその無明を減して明知を得た。するとその明知からは、山の頂から地平を見るように、一切の存在の所以が、疑うことのできない現実として映ってきたのだとみたい。
 釈尊の説いた法門は後年、八万四千の法門というように膨大な量にまとめられたが、詮ずるところ、彼が叫び、主張したところのものは、無明の生活に陥っているかぎり、人は三界六道を流転するのみであり、人は明知、つまり仏知見をもって万法を観察すれば、必ず自受法楽、すなわち絶対的な幸福を胸中に厳然と確立できる。自分はそれを体得した。諸君たちもそれを見たまえ、ということに要約できるのではないだろうか。
 野崎 次に進めますと、この初夜分の明知が生じたあと、第二更の明知が生ずる。それは「もろもろの生存者の死生を知ることに、われは心を向けた。すなわちわれは清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死にまた生れるのを見た。すなわち卑賎なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、としてもろもろの生存者がそれぞれの業にしたがっているのを見た――『実にこれらの生存者は身に悪行を為し、ことばに悪行を為し、こころに悪行を為し、もろもろの聖者をそしり、邪った見解をいだき、邪った見解にもとづく行為をなす。かれらは身体が破壊して死んだあとで、悪しきところ、堕ちたところ、地獄に生れる。また他のこれらの生存者は、身に善行を為し、ことばに善行を為し、こころに善行を為し、もろもろの聖者をそしらず、正しい見解をいだき、正しい見解にもとづく行為をなす。かれらは身体が破壊して死んだあとで、善いところ、天の世界に生れる』と。
 われはかくのごとく清浄で超人的な天眼を以て、もろもろの生存者が死にまた生れるのを見た。すなわち卑賎なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、としてもろもろの生存者がそれぞれの業にしたがっているのを見た。バラモンよ、これはわれが夜の中更(=第二更)に達した第二の明知である」(前出)との一節です。
 池田 ここのところは、一切衆生の宿命、三世に引き継がれていく宿業というものを、見極めたと解していいのではないか。現実の人間を、眼を開いてあるがままに観察すれば全部、下は地獄から上は天界までの六道を流転しています。しかもそれは、けっして現世に限られるのではなく、過去・未来にわたって永遠に反復しているのです。人は、己れの小さな殻に閉じともって、この現実の流転の姿、宿命の厳しさをみようとしない。あるいは、それが明確に自覚できない。しかし今、明知をもって一切衆生の死生を洞察すれば、そこに厳然とした因果の理法があり、生死を変転する人間の姿が浮き彫りになる。釈尊は、その衆生の生死の様態を知悉した。これが中夜の釈尊の境涯と私は推測する。
5  縁起について
 野崎 そのように、生きとし生ける者の生命が三世に連鎖している姿を如実に看取した釈尊は、いよいよ後夜、第三更に入って、世界、人生に関する究極の真理を体得した。これが成道であるわけですが、その真理とは何であるのか。経典では第一更、第二更まではほぼ同じ記述がみられますが、第三更の段になると、さまざまに異なっています。
 ある経典では、十二因縁の理法、また他の文献では四諦の理、さらにそのほかでは、ただ「不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の安穏・安らぎを得た」(前出)という表現になっています。
 それで学者のあいだにも、種々の説が出ておりますが、一般的にいわれているのは縁起の理法ですね。
 池田 そう。理のうえから判ずれば、縁起であったと考えていいのではないでしょうか。縁起とは、わが国ではよく「縁起がいい」とか、どこどとの寺院の縁起とかいうことで、日常用語になっている。この場合の縁起は、由来とか、沿革とか、因縁、運命といった意味に使われているわけだが、今ここで釈尊の悟りとして「縁起の理法」というのは、そういう意味ではない。否、現在、われわれが口にしている縁起という言葉は、本来の意義から変形したものと考えられるわけです。
 「縁起の理法」とは、ひとくちにいえば「縁によって生ずる」ということで、森羅万象――仏法ではこれを、森羅三千とも、諸法とも万法ともいうわけだが――は、ことごとくなにかの機縁によって生じ、滅している。それが万物の、またおよそ存在するものの、本源的な特質といえよう。
 したがってそこには、なんらかの関係性があり、それ独自で独立して存在するというものもなければ、それ自体で、固定的に、不変的に連続していくものもない。どこまでも、万物は、それ自体では独自的には存在しないのであり、なんらかの「他のもの」に依って存在しているし、また、なにかの「縁」に依って生じているのである。だから「他のもの」とか、また、その「機縁」がなければ、万物の存在はありえない。
 関係性の原理ですね。ごく大ざっぱに捉えて「縁起」という考え方のなかには、そういう哲学的な意味があるわけです。
 野崎 「縁起」というのは、よく「相依性」という言葉で表現されていますね。相依性とは、もろもろの存在は、必ず互いに「相依りて成り立つ」ものという諸法の関係性の概念でしょうが……。
 池田 うむ。広くいえば、たしかに相依性という言葉に含まれるが、縁起のなかには、ただ単に、存在するもののヨコの関係性だけを述べたものではない。何々を機縁として生じ滅するということは、タテの時間的な因果の関係で成り立っているということもあらわしていると私はみたい。ただ、ここで注意したいことは、釈尊の明晰な悟達の範疇を、縁起という概念で表現してもけっして間違いではないが、そこからすぐ安易に、その縁起を代表しているのが、十二因縁説であるというのは、飛躍ではないかということです。
 野崎 この十二因縁説というのは釈尊が、自己の悟った縁起の法にもとづき、それをわかりやすく衆生に説くために、人間界にその関係をあてはめて使ったという傾向が強いですね。釈迦の出家の動機は、前にも触れられたように、生老病死から逃れられぬ人間の宿命を打開するためですね。だから、その生老病死をいかに克服するかが問題とならねばない。そして今、それを解く悟りを得た。
 彼が悟ったその微妙の法は、たしかに、人間の生老病死を現実に克服するに足るものである。しかし、その悟りを正確に表現する言葉を失った。なぜならそれは、けっして固定的に説ける内容ではない。「縁起」というものは、非常に微妙な構造をもった、諸法の真理だからです。したがって、それをそのまま難しく述べても、衆生は理解できないであろう。そこで、人間の現実の姿のなかで、わかりやすく説き起こしていとうとした。それが、まず十二因縁なるものであったと考えられますね。
 池田 そう。結局、十二因縁というのは、生老病死のうち、まず「なぜ老死があるか」という問題提起から始まる。そしてそれは、所詮、生があるからだと説く。人間が死ぬのは、耐えがたい恐怖と苦悩があるわけだが、その苦悩は結局、人間が生まれたこと自体に出発点がある。生が死の苦悩の根源である。したがって「老死は生に縁って有る」という、逆説的な説き方になる。そして、ではその生は「何によってあるか」といえば、それは生存という具体的現実においである。この生存とは「有」とも訳されているが、いわんとしているところは、有るという概念が、生を支えているということになるでしょう。
 それからその生存、有は、執着、取という感情からなっており、その執着はつまるところ渇望という盲目的な欲望の故に起こってくる。その盲目的欲望は感受によって起こり、感受は接触つまり触ですね、それによって起こる。そしてその触は感覚作用によって成り立ち、感覚は物と姿つまり名色によってある。この名色は識という思索の働きで起こり、思索は現象があるが故に起こる。ではその現象はというと、結局、迷い、無明に依っている。したがって、物事の苦しみの根本は、せんじつめれば、無明に帰着するというわけだ。これは流転の十二因縁といわれるもので、人間の三界六道を繰り返す、その原因を十二に分けて論じているわけです。ですから、ここで釈尊が説きたかったのは、苦しみの原因は、人間が無明の酔いに沈んでいるところにあり、だから無明を滅すれば、この連鎖が逆になり、老死がなくなり、安心立命の不動の境涯になるということでしょう。還減の十二因縁といわれるゆえんです。
 この十二因縁説は、たしかに縁起の人間界にあてはめた説き方だが、それは結局、人間に無明があるから幸せになれないことを説かんがために使用した便法であったとも受け取れる。だから、釈尊が悟った理が「縁起」にあるとしても、けっしてそれは十二因縁が本質ではないと私は思っている。むしろ、釈尊の明確にみてとった世界は、瞬時として固定的に存在するということがなく、変転やむことのない「生命の法」ではなかったかと考えたいのです。
 大宇宙の姿に冷静に思いを凝らせば、一見、静寂の太虚にみえるなかにも、時々刻々、変化と生成のリズムを刻みつけている。人間一個をとっても同じである。老いては死に、死してはまた生じている。社会も、自然も、ひとときとして静止ということがない。およそ森羅三千の生命というものは、なにかを縁とし、生じ減している。しかも大宇宙の変化、生滅は、自然の生滅変化に影響を与え、それがまた人間生命に密接に関係している。万物は、そうした、時間的にも空間的にも「全体連関」つまり縁起の状態で存在、死滅している。それが諸法の、動かすことのできない道理であり、実相である。私は、釈尊の悟達が志向していた世界は、その、万物が互いに因でもあり果でもあり、縁でもあり、しかも厳然と因果を倶時した生命の不思議な実体についての嘆声であったと確信したいのです。
 野崎 ところが凡夫の悲しさで、人びとはこの如実の真理を知らないで、互いに与えられた生のなかで、自分自身がまるで独自で存在しているかのような錯覚に陥っている。その錯覚が結局、欲望の虜に人間を堕としめ、かつ、その絶対的真理の法たる「生命の法」から人間を遠ざけている。ここに悲劇があり苦悩があり、不幸が渦巻く。これはなんと愚かなことか。悲しいことか。
 所詮、人間が無明の世界を徘徊しているからだ。人間の不幸はその意味で、胸中にある無明である。この冷厳たる事実である「生命の法」に気づかないどころか、それと相反する考え方に立っている人間自身の迷いなのである。迷い、無明は悪である。この胸中にある自己自身の悪と対決する以外に、人倫の道は開けない。
 今「仏陀」「覚者」となった自分は、しかしその悪から完全に解放され、真に「生命の法」のうえに遊戯している。これ以上の法楽があろうか……。
 釈尊の、当時の心境を凡夫の推測で慮れば、こんな状況が浮かんでくるのですが……。(笑い)
 池田 そう。自受法楽、絶対の幸福境涯ですね。もはや何ものにも惑わされることがない。自身の今、体得した法にもとづき、無限に人生を開ききっていける。どんな迫害、困難、逆境も、風の前の塵にすぎない。
 こういう生命、仏界ですね。それが湧現したときに成仏、涅槃、解脱になるわけです。ですから、縁起の法といっても、結局、生命の本質の直観であったといっていいのではないでしょうか。故に、帰するところ、『法華経』で説く生命の永遠、十如実相、一念三千の悟達になっていくわけです。
 ところが、三千諸法の微妙不可思議な構造関係を有する生命の法を、一挙に説いても、とうてい理解されるところではないまた、そういう深遠な哲学を正面から打ち立てるよりも、釈尊はまずこの法を一切衆生にも開かねばならない。というのは、現実に今、人びとは病み苦しんでいるではないか。その人間に、すなわち衆生に巣くう病巣を駆除することこそ先決である。
 だから、釈尊はまず、この急患者たる衆生の前に、あたかも卓越した医者のごとくあらわれ、その病状に照らして、種々の法を説いていったのでしょう。この説法の具体的な事実については後で述べるとして、その説き方と衆生の受け取り方によって、後に八万四千の法蔵になっていった。
 これは、釈尊を理解するうえでたいへん重要な見方です。彼は、もちろん、哲学者としてもその到達した英知は、群を抜いた輝きがありますが、種々の経典を読むと、けっして単なる哲学者ではない。それよりも宗教的実践者として、稀有の存在であったとみられる。いわば優れた「人生の教育者」「人間指導の達人」であった感が深いといっても過言ではない。人生の病を治す名医であったと表現してもいいでしょう。したがって、この釈尊の姿、本質、原点というものをよく捉えないと、彼の悟りが奈辺にあったか、数多くの文献により、判然としなくなることに注意しなければならない。

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