Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十五章 ストレスと「衆生所遊楽」の境…  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

前後
5  胎児の最大のストレスは「家庭環境」
 ―― もう少々、ストレスについてうかがいたいのですが、人間はすでに胎児のときからストレスははじまっていると聞きましたが。厳しいものですね。(笑い)
 屋嘉比 そうです。
 池田 では、屋嘉比さん、胎児にとって最大のストレスとは……。
 屋嘉比 やはり「家庭環境」のようです。これは「朝日新聞」でも紹介されておりましたが、カナダの心理学者の調査では、母親のストレスが胎児に及ぼす影響を点数で表すと、貧血や高血圧を「一」とすると、なんと夫婦げんかは「六」となるそうです。
 ―― 不思議なものですね。
 屋嘉比 胎児が母親の愛情を感じとれれば、自分の周りに一種の防護壁ができて、外部のストレスから受ける衝撃は和らげられるともいわれているんです。これは出生してからも変わりませんね。
 ―― 家庭が大事だという点について、仏法にもなにか説かれたものはございますか。
 池田 私がいま思い出すのには、法華経に「田宅」とあります。
 これについて大聖人は、深き生命観のうえから、「田は米なり、米は命をつぐ、宅は身をやどす是は家なり、身命の二を安穏にするより外に財宝は無きなり」とおっしゃっておられますね。
 ―― 「宅」には、「やすらか」「やすんずる」という字義もありますね。
 屋嘉比 「家貧しくして孝子あらわる」ともいわれますが、ある研究者は、一般的には、「平穏」「信頼」「安定」という雰囲気の家庭で育った子供は、その後の人生のストレスに対して、比較的強くなれるといっておりますね。
 池田 これは、子供も大人の世界も同じです。(笑い)
 ドイツの著名な教育学者のボルノーでしたか、「広い世界から自分の仕事を果たした後に、いつもまた自分の家の平和に戻っていって、そこで新たな力を集めることのできる者だけが、おそらくは広い世界のなかに住むことができるのである」(『人間学的に見た教育学』浜田正秀訳、玉川大学出版部)と言っていたのを記憶しておりますが。
 屋嘉比 実感としてよくわかりますね。(笑い)
 池田 そこで、私も立場上、それこそ多くの青少年を知っております。なかには、ご両親を若くして亡くした人もいる。片親の人もいる。またさまざまな家庭状況の人もいる。
 そうであっても、立派に成長した人を数多く私は知っております。
 要するに、いかなる困難な環境であっても、それを乗り越え、その環境をも変える自分自身をつくりゆくことができるのが、信仰の真髄と思っております。
 ―― まったくそのとおりですね。
 池田 それから、法華経「法師功徳品」に、まえにも申しあげた、「安楽にして福子を産まん」という経文があります。
 晩婚で、高齢出産であっても、立派な子を産み、立派な家庭を築いている女性は数多くいる。外見的な尺度で幸福は測れないものです。幸福は、統計ではない。(笑い)
 ゆえに、一切を転換しゆく、信仰の力があるということほど強いことはないと、私どもはいつも主張しているわけです。
 屋嘉比 若くして幸せそうな結婚をしても、そのまま幸福がつづくとはかぎらない場合もありますからね。
 池田 また、子供のないご夫婦もいる。しかし、いつも円満で、生きいきと活躍されている方々も多い。
 ―― たしかにそうですね。
 池田 大聖人の門下にも、池上という兄弟の弟夫婦は、子供がいなかったといわれています。その夫人に対し、あるとき大聖人はお手紙の中で、「御子どもはなし・よにせけんふつふつと・をはすると申され候こそなげかしく候へどもさりともとをぼしめし候へ」と激励されております。
 これは、子供がいないので、さびしく過ごしていらっしゃると聞きましたが、この信心を貫きとおせば、絶対に幸せになるのであるから、少しも嘆く必要はない。自分らしく、この一生を生きぬきなさい、と言われたと私は拝します。
 屋嘉比 本当に、細かなところへ心くばりをされておられる。これが大事なんですね。
6  人生を楽しむために生まれてきた
 ―― 適度なストレスがないと子供の知能も発達しない――とも聞いたことがありますが、屋嘉比さん、どうなんですか。
 屋嘉比 そういわれておりますね。動物社会でも、一人ぼっちで育てたものよりも、仲間も多く、変化に富む環境で育てたほうが、知能の発達もいいことがわかっています。
 ですから、一面ではストレスがあると、感受性や興奮性など生体の適応力が発達強化し、ダイナミックに恒常性を維持する能力が増大するのでしょう。まさに、それが「生」でもあるわけです。
 ―― 親の過保護は、子供にとってプラスにはならないということですね。
 池田 ところである統計調査には、人間の寿命も、適度な刺激が絶えずあるほうが長生きする、とはっきり出ているようですが。
 それとともに、なんらかの知識を常に吸収し、社会的活動に積極的にかかわっていく人のほうが、記憶力も落ちないとよく聞きますが。
 屋嘉比 これも医学的見地から立証されつつあります。
 とくに女性も、活動的な人のほうが記憶力が落ちないようです。
 ―― あるアンケート調査では、“マメに掃除する主婦は健康”とありました。(笑い)
 池田 屋嘉比さん、他にもストレスのいい解消法はありますか。(笑い)
 屋嘉比 これは人それぞれでしょうね。(笑い)
 ただ、フロイトは、「夢は願望の達成である」と言ってますね。
 大脳生理学の権威であった故・時実利彦博士は、人が睡眠中、夢を見ることは、「『新しい皮質』の眠りのすきに乗じて、『古い皮質』にひしめくもろもろの欲情が代償的に満足されている」(『生命の尊厳を求めて』みすず書房)と夢の効用を語っています。
 ―― しかし、同じ夢を見るなら、本当にいい夢を見たいものですね。(大笑い)
 屋嘉比 いずれにせよ、お酒や趣味などによる解消は一時的なものでしかないことは、私どもがよく経験するところです。根本的な解決はその人の生き方の問題であり、どんなに外界の変化やショックがあっても、希望や生きがいを見いだしていけるような人生の姿勢が大切になるわけです。
 ―― だからでしょうか。最近、サラリーマンも仕事以外の生きがいをもつべきだという、“二つの生き方論”が盛んにいわれますが。
 池田 よく聞きますね。ある評論家も言っていたが、これからの社会は、仕事だけでなく、自分自身を向上させる、もう一つの生き方が必要といわれる。
 しかしまた、その生き方の内容が何であるか、ということが問題になるでしょう。
 その意味で、最高に価値ある生き方を知りえた私どもは幸せです。
 ―― まったくそのとおりですね。
 池田 有名な法華経「如来寿量品」には、「衆生所遊楽」とあります。
 「所」とは「娑婆世界」であり、この現実社会のことです。
 つまり私どもは、この地球上に「遊楽」するためにきたというんでしょうか。生きていくことそれ自体が楽しい境涯とでもいうんでしょうか。生きて、生きて、生きぬいて、なんらかの自分なりの価値をつくっていくという意義にもとれましょうか。
 よく戸田先生が、「とにもかくにも、瞬間、瞬間の生きていく人生が楽しいことが、この『衆生所遊楽』の意義に通ずるかもしれない」と言われていた言葉が、私は忘れられません。
 屋嘉比 まったく人生の真髄を一言で述べられておりますね。
 池田 何回も申しあげますが、そのために、私どもがみずからを苦しめる宿命を打開しながら、永遠にわたる幸福境涯を築きゆく源泉として、大聖人は「御本尊」を御図顕くださったわけです。
 屋嘉比 なるほど。
 池田 また「遊楽」の「遊」の字には、いわゆる“遊ぶ”の意義のほかに、「ほしいまま」「心にかなう」、また「高く飛ぶ」「ひろがり」といった意義もあります。
 ―― 字音の「ユウ」には、水の波が進行するように、「前に進む」という意味があると聞いたことがありますが。
 池田 そうです。とともに「楽」とは、「楽法」ともいうがごとく「法」を楽(ねが)う、すなわち“願う”という意義もある。
 この“願う”の根本義とは、最高最善、無量無辺の崩れざる境涯を感得するために、御本尊に祈っていくことと私は思います。
 ですから「遊楽」とは、なんの障りもなき自在の生命の力といいましょうか。また、満足しきった広々とした境涯ということになりましょうか。
 むずかしい言い方になりますが、これを仏法上では「一念三千・自受用身」といいます。
 まあ、ここにも、御本仏としての別しての次元と、私ども信仰するものの総じての次元からとのとらえ方があるわけなんです。

1
5