Nichiren・Ikeda
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第十二章 現代語のルーツ「法華経」
「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)
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6 「法華経」を志向した明治の文人
屋嘉比 日本ではどういう人々が、法華経を志向していますか。
池田 有名なのは宮沢賢治でしょう。
しかし賢治は、むしろ石川啄木が法華経に傾倒した影響をうけたような面もあるようです。
啄木にも、青春のさすらいのなかで、「真の宗教とは何か」、また「信仰とは何か」を考え、苦しんだ時期がありましたね。
屋嘉比 私はあまり文学は得意ではないのですが、賢治は有名ですね。啄木のことは、知りませんでした。
池田 啄木は、友人たちにも、「法華経を読み給え」と説得までした文が残っていたと、記憶している。
しかし、法華経といっても、彼らの場合はいわゆる「文上」の法華経である。
何回も申しあげたとおり、仏法上、「文底秘沈」の法華経と優劣があることを前提とさせてください。
屋嘉比 よくわかります。しかし、法華経までいくということは、思想遍歴として偉いと思います。
池田 彼の場合は、とくに「一念三千」論に触れ、驚嘆したようです。
直接的にはまあ、高山樗牛の影響をうけたのではないかと、私は考えています。
屋嘉比 なにか石川啄木のなかで、宗教に関して書いた文がありますか。
池田 「真の宗教とは、説教や教論の意味ではなくて、その人の人格に体現せられたる表示の謂である」(『啄木全集』第七巻、筑摩書房)といった文があったようです。
屋嘉比 まだなにか記憶にある文がありますか。
池田 「宇宙の中に我の遍満するを見、若しくは我の中に宇宙の呼吸を聞きて、人と宇宙の融合する境地、之れを信仰とは云ふ」(『啄木全集』第四巻、筑摩書房)というような文章もありました。
屋嘉比 おもしろいですね。ちょっとヨーロッパの学者からみれば小型ですが。(笑い)
池田 最近は、石川啄木を読む若い人も、少なくなったようですね。
―― 高山樗牛の法華経研究は有名ですが。
池田 そうですね。戦後すぐのころ、私も神田の古本屋で、『樗牛全集』を安く手に入れた思い出があります。
屋嘉比 私は名前ぐらいしか知りませんが……。
池田 当時は一世を風靡した感があったね。いまの人は、もう読まなくなったのでしょうね。
―― 文庫本にも、たしか『滝口入道』ぐらいしか入っていないと思います。
屋嘉比 樗牛は、若くして死んだのではないでしょうか。
池田 たしか三十一歳でしたね。たいへんな勉強家であったようです。彼の生涯を彗星のごとき一生であったと評する学者もおります。
私の恩師である戸田第二代会長は、よく私に「樗牛のように、書いて書いて書きまくれ」と厳しく言われたことを、いまもって覚えております。
しかし、戸田先生は、彼の生命観は、“人が偉大な仕事をする。その偉大な仕事は後世にも残る。その後世に残した偉大な仕事に自分は生きている”というところまでしか言えなかった。法華経に説かれた究極の「法」、すなわち永遠の生命の実相には、ついに迫ることはできなかったと、よく話されていた。
そこがじつはむずかしいのです。
―― 樗牛の友人であった姉崎嘲風(正治)博士も、日蓮研究の先駆者の一人ではないでしょうか。
池田 姉崎博士は、樗牛の影響でしょう。
博士は「日本宗教学会」を創設したことで知られている。
―― 博士の学問のバックボーンは、日蓮大聖人の御書を綿密に研究したところにあると、読んだことがありますが。
池田 私も聞いたことがあります。いまから約七十年ほど前、博士は、アメリカのハーバード大学から招聘されている。
そのとき、日本文化の講座で、そのへんについて講義したようですが。
―― 博士は、その講義を『日蓮伝』(Nichiren,the Buddhist Prophet)と題し、英文でハーバード大学から出版していますね。
池田 博士については、このくらいでどうですか。
私は、こうした学術的な仏法への志向も大切であると思いますが……。
しかし、もっともっと大切なことは、法華経「法師功徳品」に「於大衆中(中略)説是法華経」(大衆の中に於いて……是の法華経を説かん)とある。
その意義からいうならば、厳しきドロドロとした現実社会、生活のなかに、この法華経を説き、広めていくことは最大に重要であり、誇りとすべきでしょう。
―― そこでいわゆる、日本の古代においても、法華経の影響があったことは、歴史的事実のようです。
たとえば、『古事記』『万葉集』『源氏物語』等も、たいへんに法華経の影響があったととらえられていますが。
池田 そう思います。たしかに、著名な古典文学に対する法華経の影響は大きい。
法華経が、幾重にも、文化の層をつくったことも、これまた事実でしょう。
―― 「能」や「狂言」なんかにも、法華経の影響があるという説もありますが。
池田 よくわかりませんが、文上の法華経の「七譬」なんかが入っていることは事実です。
―― いわゆる有名な後白河法皇が選んだ『梁塵秘抄』なんかは、法華経の影響があると聞いたことがあります。
池田 私はよくわかりません。ただ、『梁塵秘抄』は、日本の童謡や謡の原型ではないかといわれております。
屋嘉比 これは……、『梁塵秘抄』は、受験のときに勉強したんですよ。(笑い)
ここで話が出るとは驚きました。(大笑い)
池田 その『梁塵秘抄』は、平安時代、広く貴族、さらに庶民の間で歌われていたものを、後白河法皇が選し、収録したものといわれている。そのなかに「法華経二十八品歌」と名づけられた百十五首の歌があるともいわれてきています。あまり、突っこんで意識したことはありませんが。
7 日常化している仏教用語
―― 文上、文相とはいえ、調べれば調べるほど、聞けば聞くほど、この法華経の影響は大きいような気がします。
池田 それは、確かです。文上においても、時代とともに、それなりの影響があった。いわんや、文底の法華経の全世界に対する影響が、どれほど大きいかは確信できますね。
屋嘉比 医学に関してありますか。
池田 屋嘉比さんは医学博士ですが、「医」という言葉や、また「患者」の「患」という言葉も、もともと仏教用語という学者もおります。これは法華経「寿量品」にもあります。
屋嘉比 すると「薬」は……。
池田 それこそ有名な法華経「寿量品」の「此薬」「良薬」とあるとおりです。
また、「病」も「救護」もみな、「寿量品」にあります。
―― たしか『広辞苑』を編まれた新村出博士が、その出典を法華経に求められている言葉として、考証しています。
池田 それは知りませんでした。
ただ、日常なにげなく使っている言葉が、ずいぶん経典にあることは確かです。
屋嘉比 どんな言葉がありますか。
池田 よく使われている、「疾病」「代謝」「人民」「国民」「大衆」「自由」「頂戴」「迷惑」「根性」「意識」は、法華経の開経である「無量義経」にあります。
「見聞」とか「演説」という言葉は、法華経の「序品」にあります。
「平等」「我慢」「正直」「一大事」は、私どもと関係の深い、法華経の「方便品」にあります(笑い)。「人間」とか「娯楽」とか「宣伝」とか「堕落」は、「譬喩品」にあります。
屋嘉比 多いですね。
池田 「大志」「志願」「宣言」「財産」「計算」は「信解品」。
「道楽」「差別」は、「薬草喩品」にあります。
また、「親友」「言論」という言葉は「五百弟子受記品」。
「過失」「嫉妬」は「安楽行品」。
「世間」「出世」「寿命」「一心」は、さきほどの「寿量品」にあります。
「重病」は「普賢品」。「機関」は、法華経の結経である「普賢経」にあります。
まだまだありますが、また、いつかの機会に……。(笑い)
屋嘉比 いやよくわかりました。たいへんなものですね。
ところで、そうした言葉の意味は、いま、使われている意味と同じだったのですか。
池田 ほとんど同じでしょう。多少、その真意とニュアンスが違う場合もあるようです。
たとえば、「大衆」という言葉は仏法上、国王であろうが、庶民であろうが、万人万物すべて平等である、という意義になります。
また、「道楽」とは、現代の意味とは違い、仏道修行のなかから生まれた喜び、楽しみを意味しております。
屋嘉比 言葉というものは、時代の流れとともに、意味も変わることは当然でしょう。
―― フランスの哲学者アランが、「言葉は社会の子供である」と言っていますが。
池田 そうです。言葉は、社会と融合したところから生まれる。そして広く、万人に使われ、伝えられていくものですね。
ですから、仏典の用語がこれほど日常化していることをみても、いかに法華経が人々の生活や心に入っていったかがうかがえる、と私は強く思っております。
屋嘉比 たしか、ガリレオだったと思いますが、「最初に事物が存在し、言葉はその後に従うものだ」と言っていたと思いますが……。
池田 それは有名な言葉ですね。科学者としての実証精神をあらわしたものでしょう。
ですから、法華経の文々句々も、生活の実感や日々の行動のなかで、納得性が生まれていったのではないかと、私はいつも考えております。
屋嘉比 そうでしょうね。私にも、よくわかります。
日蓮大聖人は、「言葉」については、どう説かれておりますか。
池田 いくつかの御文があります。
なかでも、「総勘文抄」では、「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」とあります。
私は、この一節を拝するたびに、どれほど私どもの日常の「言語」「音声」が、大切な「心」の発露となっていることか。またその「心」、ひいては「一念」をどうもつかが重要かと感じます。
―― たしかに言葉というのは大切ですね。人によっては地獄の声のような人もいたり(笑い)、春風のような爽やかな、生きいきとした声であり行動でありたいものです。私なんか反省ばかりですが。(大笑い)
屋嘉比 短い言葉のなかに深い真理を突いた一節と思います。その他にもございますか。
池田 「書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん」と、より意思の疎通をはかり、万事をつまびらかにするには、直接の交流対話がいかに重要であるかも、説かれているんです。
屋嘉比 よくわかります。次元は違いますが、医者も問診が大事です。
8 最先端の学問を修学された大聖人
―― ところで、これもいつかおうかがいしたいと思っていたのですが、大聖人の御書には、いたる個所で、当時の学問上の文献を引用されていますが……。
池田 大聖人が、当時の最先端の学問を修学されたことは、歴史的にも、よく知られるところです。
また、御文にも、「鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に」と、そのご様子を述べておられる。
―― これは有名な史実ですね。当時は、いまのような印刷技術も発達していなかった。各地の寺院を訪ねて、古今の蔵書を閲覧する以外なかったわけでしょう。
池田 当時の名刹・古刹といわれた寺院は、いまの大学のような役割を果たしておりましたからね。大聖人は、貴重な文献は、書写もされているようです。
屋嘉比 どんな書物を読まれていたのでしょうか。
池田 ひとつの例を申しあげると、佐渡の地で、「外典書の貞観政要すべて外典の物語八宗の相伝等此等がなくしては」とおっしゃっておられる。
―― 『貞観政要』は、当時の指導者が読んだ、中国の政治書であり、歴史書です。
屋嘉比 ほかには具体的には、どんな……。
池田 いま、思いつくものだけでも、御書に引用されているものでは、『孝経』『春秋左氏伝』『易経』『史記』などもありますね。
屋嘉比 『史記』は読んだことがありますが、あとは馴染みのない書名ばかりです。(笑い)
―― いや、私も専門的な文献のように思います。
屋嘉比 ほかにもございますか。
池田 出典は明記されておりませんが、その文献をふまえておられると推察されるものをあげれば、たいへんな数になるでしょう。
屋嘉比 たとえば……。
池田 私がちょっと調べてもらっただけでも、『論語』『韓詩外伝』『文選』『尚書』『周礼』『礼記』『漢書』『後漢書』『唐書』『中記』『列子』『韓非子』『淮南子』『牟子』『神僊伝』『老子』『荘子』『晋書』『孔子家語』『礼記集説』『顔氏家訓』『荀子』『孫子』『管子』などがあります。
まだまだあると思いますが、いま、全部は思い出せませんので、ご了承ください。(笑い)
屋嘉比 壮観です。当時は、中国の文献が、いまでいう貴重な学問書だったのでしょうね。
池田 そう思います。万般の哲学、道理、そして現実の社会の動向をいかに大聖人が重視されたか。そのひとつの証左と私は推察します。
―― 日寛上人の著作にも『徒然草』『水戸光圀』、また中国の『白楽天』などを引かれた個所がありますね。
池田 「仏法は道理」です。秀でたものとは、不思議に相通ずるんです。
それにつけても、私が青年時代に読んだ、第六十五世日淳上人の論文のなかに、たいへんに思索しなくてはならないお言葉があった。
それは、「宗教が一切世間を対象とするといふのは生命そのものを対象とするが故である。(中略)『寿量品なくしては一切経徒事なるべし根なき草は久しからず』と仰せられしは、強ちに一切経のみに区切られたことではない。ありとあらゆる教法も学問も此のうちに包含さるべきである。世人は従来の偏見を捨て宗教を見なほす必要がある」(『日淳上人全集』上巻)という一節でした。
これこそ、仏法の宗教観の真髄のうえからのお言葉と、私は思ってきた。
屋嘉比 それこそいわゆる「宗教」と「学問」、また「宗教」と「科学」の明確なる位置づけのうえからも、仏法で説く「宗教」が“根本”という意義であるということが私にも納得できます。