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日蓮大聖人・池田大作

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第十二章 核の脅威と仏法の平…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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10  「核兵器」は「第六天の魔王」の働き
 ―― 大乗仏教というのは、人間のもつ煩悩を否定しないわけですね。
 池田 そのとおりです。
 まえにも申し上げましたが、「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」という御文があります。
 この妙覚の位とは、簡潔に言いますと、仏の悟りの境地ともいえる。
 それであっても性悪、性善の両者がなお具わっている、と説いているわけです。
 木口 なるほど。仏法は平等ですね。(笑い)
 池田 この宇宙のあらゆる生命にも、この無明と法性が一体となって存在している。この無明と法性が、一小宇宙たる人間の善と悪の作用となりあらわれてくる。
 これが妙法を根幹としたとき、「梵天・帝釈」すなわち人間生命の存在を守りゆく働きとなるのです。
 ―― 「第六天の魔王」とはどういう意味でしょうか。
 池田 人間の悪なる働きの根源とでもいいましょうか。これは欲界の最頂に住し、精気を奪うことをもって自己の楽しみとするので、「奪命者」とも説かれています。
 この生命の根源的魔性こそが、一個の人間にあっては“生”への力を奪いとっていき、社会にあっては、多くの人々の“生”を奪っていくということになる。ですから「核兵器」は、仏法で説くこの「第六天の魔王」の働きといえるでしょう。
 木口 なるほど。
 ―― 大なり小なり私たちは、煩悩の塊であり、精神的、肉体的欲求を繰り返しています。
 おいしいものを食べたい、お金が欲しい、美しいものを見たい、楽をしたい……。これは人間だれしもの願いだと思いますが。
 池田 そのとおりです。「無明法性一体」ですから、そうした人間がもつさまざまな欲求・欲望を否定するわけではなく、それを人間らしい崇高な次元の欲望へと高めていく、これが「煩悩即菩提」であり、「無明即法性」という原理です。
 これを御文には、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」と説かれています。
 木口 なるほど。仏法はどこまでも深遠ですね。
 池田 ですから、妙法に照らされながら、個人にとっては人のため、社会のため、どう貢献しゆくかという煩悩を燃やす。
 社会にあって指導者は、どう人々を幸福と平和へと導いていくかという大煩悩を燃やしていく、という姿になってくるわけです。
 木口 なるほど。よくわかります。
 ―― 素晴らしい法理です。大いなる煩悩は、民衆救済への偉大なるエネルギーへと転換していくことになる。
 木口 凡智では、計り知れない仏法の卓越した生命観ですね。
 これこそ偉大なる「変革の原理」ですね。
 池田 ともあれ、道遠きようであるが、この一個の人間存在を確実に変革しゆく道こそが、確かなる平和への第一歩といってよいでしょう。
 木口 まったく、そのとおりだと思います。その意味で私は、生命尊厳、人間主義である仏法の「中道」のいき方に共感をおぼえますね。
11  地球破滅を回避する方途は仏法
 ―― 先日(一九八四年一月十四日)、名誉会長と対談したハーバード大学の平和と開発問題にたずさわるモンゴメリー教授も、「中道の拒否は“死せる平和運動”、賛成は“生きた平和運動”」と創価学会の平和運動を高く評価しておりましたね。
 池田 ええ、たいへんに楽しく有意義な語らいでした。
 教授は、ハーバード大学の政治学部長という立場にありながら、まことに謙虚で温厚な方でした。かつ学者らしい鋭い目をもっていた。
 私の数年来の友人である平和学者のペイジ・ハワイ大学教授も、ストックホルムの世界未来研究連合会に出発する寸前のようでしたが、一緒にこられました。
 ―― そのようですね。
 池田 ともあれ、政治や経済の革命もあった。産業や科学の革命もあった。だがその革命は、常に新たな別の問題をもたらしてきた。
 木口 まったく、そのとおりです。
 池田 ゆえに私は、人類に残された最後の革命は「精神革命」、さらに言えば「人間革命」にあると思っております。
 ―― まったく同感です。ペイジ教授も、「私はそれを、非暴力による革命と呼んでいる」と、名誉会長とまったく同じ志向性であると言っておりましたね。
 池田 ですから私どもは、この破滅の道を回避する方途は、人間原点に立った、すなわち仏法による運動以外にないと、常々訴えているわけです。
 木口 なるほど。
 池田 日蓮大聖人は、その具体的方法を、「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」とご教示されております。
 ―― 六識とは、どういうことなのでしょうか。
 池田 簡単に言いますと、人間が生きていくうえで意識される感覚や心の六つの働きのことです。
 「目、耳、鼻、舌」の四識、「身」の五識、さらには「意識」としての心の働きを含めての六識です。
 ―― なるほど。よくわかります。
 池田 この六識は、いわば日々の生活のなかで、家庭や、社会での人間の営みを創造せしめゆく働きとみてよいでしょう。
 ゆえに信仰は即生活でなければならない。深山幽谷に閉じこもっての仏道修行ではない。また一人だけの信仰もありえないと思います。
 木口 なるほど。
 そうすると一般には九識というのでしょうか、なにか「悟り」の境地に達することが仏道修行の目的のように思われていますが。
 池田 通途の仏教においては、そういうことになるでしょう。
 そのために歴劫修行といって、数世にもわたる長く厳しい修行を経て“法”の覚知があるとした。
 しかし、それだけにとどまるのでは、自己満足にすぎなくなってしまい、また厳しい現実社会の変革の論理にはなりません。
 ―― そのとおりです。宗教というのは観念の遊戯であってはいけませんね。
12  目ざめた人々の運動こそ平和への力
 池田 ですから、文底独一本門たる大聖人の仏法においては、この仏法自体が有する絶大な仏力・法力によって、ただただ「南無妙法蓮華経」を唱えることにより、因果倶時で、ただちに九識という尊極の生命に事実のうえで立脚することができる、と説かれているわけです。
 つまり「心地を九識にもち」とは、わが胸中の心の奥底に、「九識心王真如の都」たる南無妙法蓮華経を信受して、九識の生命に立脚することである。
 また「修行をば六識」とは、九識の生命を根幹として、こんどは六識の生活や社会に積極的に働きかける。
 人々に貢献し、平和な楽土を築くために行動する。さらに、多くの人々が安穏なる日々を送るための指標を与える。――つまり人間が安心して、豊かに暮らしていける社会の建設、いうなれば、仏国土をつくりあげゆくための布教や実践活動を、さすのだと思います。
 ―― なるほど。人間の個の確立というものの具体的姿は、あくまでも時代、社会のなかにおいてのみ発揮されるべきであるということになるわけですね。
 池田 そのとおりです。ゆえに妙法は、行き詰まりの現代社会にあって、人々に無限の創造性をもたらす。そして、生き生きとした活力を与えゆく「蘇生の法」といわれるわけです。
 そしてその妙法を基調とした、目ざめた人々の運動こそ平和への確かなる力となり、波動となっていくと信じております。
 木口 自らが常に向上し、充実した生き方をするなかにこそ、真実の平和運動の軌跡がある……。
 ―― 汗水流して仕事に励む。子を育て家庭を守る。また勉学にいそしむ。その日常生活のなかで、人々に強靭なる「平和への意志」を広げゆくことは、決してムリがない。
 またそうでなければ、運動の永続性もなくなってしまう。
 木口 まったく同感です。平和運動の理想ですね。
 ―― 先日、ヨーロッパに長期滞在し、いちじ帰国した友人から、次のような話を聞きました。それは、彼が欧州国連本部のジャイパール氏に会ったときの話です。
 池田 そうですか。ジャイパール氏は、ジュネーブにいて国連事務次長を務めている人物ですね。
 ―― ええ。
 氏は、「これまでの反核・平和運動は、どうしても反権力・反政府運動のみに偏りがちだった」。
 木口 そうですね。
 ―― 「それに対し、創価学会の平和運動は人間生命尊厳の理念を根底に、幅広く民衆の覚醒をうながすという意味で、これまでの運動とはまったく違っており、私は心から共感をおぼえる」と述べていたそうです。
 木口 なるほど。よくみておりますね。
 ―― さらに「今後も、全面的に支援していきたい」と、熱っぽく語っていたそうです。
 木口 心ある人々は、人間に光をあてた運動に着目し、かつ確かなる希望を見いだしていますね。
 ―― 最後になってしまいましたが、木口さん、なぜ二月が「閏月」なのですか。
 木口 古代ローマの暦では、いまの三月が一年の始まりになっていました。当時の閏年というのは、一年の終わり、つまり二月の最終日に一日加えていたわけです。
 ―― ああ、そうですか。その習慣が、そのまま今日の暦にも引き継がれてきたわけですね。
 木口 そのようです。
 ―― 「閏」という文字は、ふだんあまり使われませんね。
 池田 そうですね。この文字には、なかなかおもしろいいわれがあるようだ。
 『大漢和』などをみると「告朔の礼、天子宗廟に居る。ただ閏月は門中に居る」(『説文』)という言葉から派生したとありますね。
 木口 昔は、王様は毎日宗廟へ行く習わしだったそうですね。
 池田 そうです。ところが、王様は閏月には門外に出歩くことをしなかった。文字どおり、門の中に王様がいた。(笑い)
 この字は、こうした意義から生まれたとされているようですが。
 ―― なぜ外に出なかったのでしょうか。
 木口 そのころ、中国で使われていたのは太陰暦ですね。この暦では、ひと月は二十九日か三十日になります。
 したがって、一年に十数日が余りました。そこで三年、あるいは五年、十九年という割合で閏月をおいて調節しました。
 池田 ですから閏月は、余分な月であったわけです。この月に亡くなっても、数年に一度しかこないので、この月に命日を定められなかった。
 だから王様も、宗廟に参る必要がなかった(笑い)、という説を聞いたことがありますが。
 木口 それにしても、いかにも“文字の国”らしい発想ですね。(笑い)
 ―― そのころの日本には、まだ正式な暦がなかったと思いますが。
 池田 そうですね。
 まえに調べてもらったのですが、中国の有名な『魏志倭人伝』(中国の史書、日本古代史に関する最古の資料)の裴松之の注に「その俗、正歳四時を知らず、ただ春耕秋収を記して年紀となすのみ」とあるように、倭人はこよみを持っておらず、ただ春耕、秋収をしるして、年紀となす、と記されています。
 ―― 暦という日本語は、もともと「日読」といい、日を数える――つまり、太陽が昇るのを数えるところから起こったそうですが。
 木口 ええ、それにしても、中国にはたいへんに進んだ暦が昔からあった。
 池田 そのようですね。この中国のすぐれた暦も、じつは仏教の影響が強く反映したようです。
 古代インド仏教の経典である「摩登伽経」「二十八宿経」「大集経」「宿曜経」などに記された考え方が、一つの基準となってできあがっています。
 木口 そうでしたか。そうした事実はあまり知られていませんね。
 ―― 古代インドにも、仏法の宇宙観の影響から、すぐれた暦の発達がみられたようですね。
 木口 なるほど。中国ではそれを応用し、八世紀ごろには、世界で最も進んだ暦を使っていたわけですね。
 ―― そのころ、仏教の宇宙観をふまえ、天体の運行をまとめた『大衍暦』というものもあったそうです。
 これは五十二巻にわたるもので、奈良時代に日本にも渡ってきたそうです。
 木口 ああそれは、世界の科学者がその見事な計算法に驚嘆した、というものではないでしょうか。
 たしかに仏法の宇宙観は、直観的なものであったかもしれませんが、不思議と現代科学と合致するところが、じつに多いですね。

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