Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第八章 “生存の危機”と仏法…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

前後
13  「自我偈」とはどんな経文か
 池田 また、「夜中に大庭に立ち出でて月に向ひ奉りて・自我偈少少よみ奉り諸宗の勝劣・法華経の文のあらあら申して」とあります。
 つまり「妙法蓮華経如来寿量品第十六」の「自我偈」を月に向かって読まれた。
 木口 「自我偈」とは、どういう経文なのでしょうか。
 池田 前にも少々お話ししましたが、「寿量品」の「自我得仏来」という句から、「速成就仏身」という句にいたるまでの五百十字からなる「偈」のことです。
 木口 「偈」というのは、韻文ですね。
 池田 そのとおりです。仏法上、一往この「偈」とは、仏の徳、教理を賛嘆する詩ということになりましょうか。
 ―― 韻文を用いるのは、まえの長行(散文)で説いたものを、重ねて人々の心に響くように説いたという話を聞いたことがありますが。
 池田 もっと深い意味があるかもしれませんが、通途の仏法ではそういうことでしょうね。
 この自我偈とは、「始終自身なり」とあるように、「自」が初めの文字であり、「身」が終わりの文字で、初めと終わりの文字を合して「自身」となり、この偈全体が、仏の生命それ自体であると説かれているのです。
 ―― 素晴らしいことですね。法華経には文上、文底のとらえ方があるのでしょうが、じつに深遠な哲理が含まれている。
 池田 また、この自我偈について、「本有とことわりたる偈頌げじゅなり」とあります。この意義は、久遠劫初の仏の生命が三世永遠にわたるものなりとの道理を説き明かしたのが、この偈であるといえるのではないでしょうか。
 この根本の理、その究極の法は何かといえば、「南無妙法蓮華経」の一法であるとなるのです。
 木口 なるほど。
 池田 ですから、日蓮大聖人は「法華経」の文字を、「肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見・菩薩は種種の色と見・仏種・純熟せる人は仏と見奉る」とおっしゃっておられるわけです。
 ―― なるほど。よくわかりました。
 月に向かっての経文の読誦のあと、大聖人は「いかに月天いかに月天」と、宇宙の諸法諸力に対し、「法華経の行者」を守護するという「誓言のしるしをばとげさせ給うべし」と、強く諌暁されたわけですね。
 木口 この「誓言」とは、仏典のなかにあるのですか。
 池田 そうです。「法華経」の「安楽行品」に、「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」とあります。
 また「嘱累品」には、「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし」ともあります。
 木口 なるほど。
 ―― そうした諸天に対する諌暁が終わるやいなや、月光さえわたる夜空から、大きな明星が降り下り、庭の梅の木にかかったと記されていますね。
14  「星下り」現象に科学的な裏づけ
 池田 そのとおりです。この不思議な現象については、九月二十一日の日付でしたためられたお手紙にも、「明星天子は四五日已前に下りて日蓮に見参し給ふ」とあります。
 この依智・本間邸で起きた「星下り」についても、故広瀬秀雄博士の研究が残っております。
 博士は、御書のいまのくだりを見て、直観的に「これは、金星だ」と思ったと書いております。それから計算に入ったわけです。
 木口 そうですか。不可思議としかいいようがない現象ですが、これもまた、天文学的に考察されているわけですね。
 池田 そのとおりです。しかし、なぜその瞬間に、そのような現象が起きたかという本源的な意義は、天文学では当然のことながらわからない。
 これは、仏法上の次元になります。また、そう拝していかなければ、たんなる史実で終わってしまうでしょう。
 木口 そうですね。よくわかります。
 池田 まず、この日は、文永八年(一二七一年)九月十三日ですが、『年代対照便覧』では、一二七一年十月二十六日になります。
 博士は、この星というものを、金星にしぼって、この日の運行を、ドイツの天文学者・ショッホの表から逆推算していったわけです。
 ―― 私も、その資料を見ました。
 木口 そうですか。その「星表」というのは、私ども天文学者にとっては、主要な恒星の固有運動や、精密な位置から、他の天体の位置を決めていく、基準としているものです。
 池田 博士は、この金星の観測表のデータから計算してみると、この日の金星の状態は、マイナス四等級の明るさで、最大光輝に達している。
 つまり、一等星の百倍もの光を放っていたはずだ、と言っております。
 木口 なるほど。金星の最も明るい状態ですね。
 池田 つまり、この「星下り」があったという日は、金星が東方最大光輝で、宵の明星であったわけです。
 博士は、この日の日没は午後五時ごろであり、金星は日没後、約二・五時間だけ見える計算になるというのです。
 木口 なるほど。驚きです。
 池田 ですから、この夜の出来事については、博士は次のように推定するわけです。
 日暮れてまもなく、東の空は晴れ渡り、十三夜の月が出ていた。
 一方、西の空には、低いところに雲があって、金星はまったく見えていなかった。
 そして、大聖人が「自我偈」の読誦、月天への諌暁を終わるやいなや、雲間より突如として最大光輝の金星が、西方の梅の木のあたりに輝き出た。
 また「やがて即ち天かきくもりて」と御文にあるので、西方に雲がまもなく出始めたのであろうと。つまりこれは、短い間の出来事だったにちがいないと結論づけているわけです。
 木口 なるほど。
 池田 私ごとき者が、一資料をもってこの場の厳粛な、不可思議なる天文現象を論ずる資格はありませんが、ただひたすら、凡人として、いちおう納得いくような気持ちになる、という意味で述べたわけです。
 木口 広瀬博士はたいへんな追究をされた、大事な証言者となりますね。
 ―― 異論があるとしても、一つの歴史的現象のとらえ方としては意義が深いと思います。
 木口 そう思います。
 ―― それと、「星下り」と御文にはありますが、このことについて、いささか調べてもらいましたところ、金星には、「薄明弧」という現象があるそうですね。
 木口 ええ、金星の、円板状の輝きの周りには、薄く、光の環が見られることがあります。
 池田 そうですか。そうしますと、金星がとつじょ輝き出すとき、さきほどの野尻さんの老漁師の話にもあったように、飛びはねるようにあらわれる。
 そして、また金星が最大光輝に輝くところには、月影のような「金星影」を地面に、投じるということも考えられる。
 木口 よくお調べですね。
 それが星が下ったような現象として見られたということも、十分推測することができると思います。

1
13