Nichiren・Ikeda
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第五章 仏法と宇宙と人生と①…
「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)
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3 素晴らしき女性宇宙飛行士たち
―― ところで先日、アメリカの宇宙連絡船「チャレンジャー」(一九八三年六月二十五日帰還)に、七回目の飛行で、初めて女性飛行士のライドさんが乗船し、宇宙空間での女性の果たす役割をみる実験が行われました。彼女は見事、重責を果たしました。
木口 よくやりましたね。
―― 世界初の女性宇宙飛行士テレシコワさんと名誉会長が、モスクワで懇談されたのは、いつごろだったでしょうか。
池田 そうですね……。たしか、一九七五年の五月だったと思いますが。
木口 当時、池田先生が、テレシコワさんについての印象記(『忘れ得ぬ出会い』毎日新聞社刊所収)をお書きになったのを読んだ記憶があります。
一工員さんだった彼女が、使命を与えられ、訓練に耐えながら、宇宙のヒロインに変わっていくようすなど、初めて知ることができました。
池田 まったく気どらない人でしたね。あのときのテレシコワさんとの懇談は、予定外のことでしたが、じつに楽しい懇談であったことを記憶しています。お互いに時間がなくなって、残念な思いをしたくらいです。そこで、印象ぶかく語っていたひとことがありました。
それは、「宇宙から一度でも地球を眺めた人は、自分たちの揺籃の地球を、本当に尊く懐かしく思いますね」という意味の言葉です。
木口 なるほど、そうでしょうね。
―― アメリカのライドさんのほうは、記者会見で「飛行中にトラブルがおきても泣きだしませんか」と聞かれて、「男性飛行士にも同じ質問をしましたか」と、逆襲していましたが……。(笑い)
木口 お国柄がでていて、おもしろいですね。
―― とくに今回注目されるのは、ライドさんが、男性とまったく同じ、多種多彩な技術をもつ人材の養成計画の一員として訓練されたことです。
ですから、科学者、宇宙飛行士として採用されましたが、緊急時には、彼女も、操縦士を務める能力をもっていたということですね。
木口 これからの時代は、宇宙空間といえども、男性だけの舞台でなくなったわけですね。私はテレビをたいへん興味ぶかく見ました。
池田 時代は刻々と変わり、進歩していく。宇宙は、女性にとっても、あたりまえの職場になることでしょう。とともに、ますます地球は狭くなり、宇宙が近づいてきた。ですから、それらを包み、それらを相関関係において、的確にとらえゆく人間としてのあり方が必要になってくる。
私は、それを仏法に求めるべきであると、常に申し上げているわけです。
木口 そうですね。そうでないと、みんながロボットのようになってしまいます。
科学の進歩が、即人間のロボット化になってしまうことがあってはなりません。時代の進展とともに、思想も高められなければならないと思います。
そうでなければ、科学の発展の意義も薄れてしまいます。
池田 テレシコワ女史は、もの静かななかに芯の強さが輝いている。それなりの人間革命をしたといってよいでしょう。ライドさんは、独立精神が旺盛である。そのなかに、行動的なアメリカ女性のタイプを代表した自分を見いだしている。
困難なものを、いとも簡単なことのように、さわやかにみせゆく内なる粘りと、情熱と、意欲的な向上心とを躍動させていることは、人間の素晴らしさを象徴していると、私はみたいのです。
4 永遠無限に脈打つ宇宙の鼓動
―― 話は変わりますが、先日、ある読者の方が、この連載を読んでいますと、
「満天の星が輝く夜空を見上げても、今年の夏は、感慨が違うことに気づきました」
という感想文を送ってくれました。
木口 複雑な人間関係の社会にあって、しばし大空を眺めることにより、心もなごむことは事実でしょうね。たいへんよいことと思います。
池田 それにしても最近の天空は、にぎやかになってきましたね。新彗星が発見されたり、日食があったり、一般紙にもよく報道されますね。木口さんもだんだん忙しくなるでしょう。(笑い)
木口 ええ。大学の同僚とも話し合うのですが、この企画が始まったころから、宇宙をめぐる話題が相次いでいますね。
―― 宇宙については、気の長い観測や研究が必要でしょうね。
木口 そうですね。ここにきて、ちょうど成果が生まれるころあいにきたということでしょうか。ちょっと、タイミングがよすぎるぐらいですが……。(笑い)
―― マスコミのほうも便乗して“宇宙フィーバー”です。前に触れました先日の日食も、ジャワ島は大混乱だったようです。日本からの日食ツアーの観光客が一千人、一年も前から予約していた人もいたそうです。
池田 宇宙についての関心や、科学の知識が高まるのは、たいへんにけっこうと思いますが、ただ、おもしろおかしく騒いで興味本位に流されてはなりませんね。永遠無限に脈打っている宇宙そのものの、生きた鼓動というものを聞きのがさぬようにしたいものですね。
木口 大事な指摘だと思います。とくに最近のテレビは、どのチャンネルもすごいですね。
―― ええ。子供向けの宇宙ものの番組は、毎週十二本もあります。マンガや劇画の連続ものですから、夕方になるとチャンネル権は、子供がにぎってしまうようです。
池田 なるほど、そうですか。
―― 木口さんに一度うかがってみたいと思っていましたが、ただ一人で天空を相手にするとき、天文学者は、地球を代表して、というような気持ちになりますか。(笑い)
木口 とても、とても……(笑い)。日夜、机の上では、地球と宇宙に向かい合っていますが、そこまでは……。それでも、時折、ふと神秘的な気持ちになることがありますね。
数字と図式とによって、いわゆる物理的な感覚で地球は描けても、人間にとっての実感のともなった地球感覚といったようなものはつかみがたいものですね。
5 全地球的な一体感が必要な時代
池田 たしかに、地球上は、いずこも探索されぬいた思いがする。もはや新大陸の発見もないでしょう。
ですから、もっと全地球的な一体感が必要であるのに反して、戦争の危機感や紛争が絶えまなくあることは、まことに不思議な現象と考えるのは私一人ではないと思う。どの国にあっても、世界というものが身近に感じられる時代とあいまって、全地球的な一体感への法則の志向が必要になってくるのではないでしょうか。
―― そう思います。「人間」という次元での各国間の絶えまない友好の交流が、時代の要請となってくるのではないでしょうか。
池田 そうですね。いかなる国にしても、社会にしても、それを左右していくのは、人間の心に、また人間の英知の論理に帰着せざるをえないわけですから……。
天文学の進歩が、宇宙の琴線にひとつまたひとつと触れながらなされゆくように、小宇宙である人間対人間もまた、誠実にお互いの琴線に触れ合っていく以外にないようですね。
それは遠い道のりのようであるが、永遠の平和と生存のためには、その一点に帰着せざるをえないでしょう。
木口 この池田先生の信条は不変ですね。かつて、先生の文章で読んだことがありますが、「人の心と心には、他人を感じ、思いやり、そこから互いに感応の妙なる曲を奏でゆく弦のようなものがある」という言葉がありました。
私は本当に、そのとおりにいく以外ないと思っている昨今です。
―― 世の中には美しい言葉は、たくさんある。星の数ほどですね。しかし美しく、そして力のある、行動を含んだ言葉は少ないですね。
木口 そうですね。人間の琴線から、いちばん遠いという意味では、やはり天文学は、雲の上の学問です。(笑い)
池田 いやいや、それぞれの分野には、それなりの役割と使命があるものです。
仏法では、宇宙に遍満する万物・万法が、妙法に照らされて、それぞれの力量、価値を必ずあらわしていく法理を「自体顕照」と説いています。
―― 本当の雲の上の人というのは、自分がそうなっていることさえわからない。(笑い)
木口 ええ、われわれの大先輩の天文学者のなかには、研究に没頭して、日露戦争があったことさえ知らないでいたという、スゴイ逸話の持ち主もいます。(爆笑)
池田 かのニュートンでさえ、思索に熱中して、懐中時計を卵と間違えて、ゆでてしまったという伝説がある……。(笑い)
―― 発見や発明に憑かれた科学者には、そうしたエピソードが多いですね。
池田 誇大妄想や発明狂では困りますが、真理に挑戦する科学者の真剣さ、純粋性は大事なことです。
彼らの忘我の戦いが、どれほど人間の幸せに寄与したかも忘れてはならないでしょう。その意味では、世事にうといということが、すぐれた科学者にとっては、美徳になるともいえますね。
木口 はい。科学者の本質を突かれていると思います。
たしかに私どもは、かすかに光る天体に思考力や全神経を集中させていますから、その面についてだけは、シャープになってきます。
ですから、狭い専門の見識で、広い世界を判断しがちなこともあります。
池田 よくわかります。純粋であればあるほど、だまされやすく、利用されやすいものです。
木口 そのとおりですね。科学者でも、アインシュタインやバートランド・ラッセルなどの平和運動は、その油断に対する反省から出発しています。
池田 なるほど。「受け身」に対する深い自省といっていいでしょう。古代人は偉大な天文学者だった。
6 ―― ところで古代民族の神話や伝説には、必ずといっていいほど、それぞれの宇宙観がちりばめられていますね。
池田 自然との一体感をもって生活していた古代の人々が、人間自身の生命体と、宇宙の生命体の感応について思いをはせたとき、理論も理屈も超克してひたすら、その大自然への憧憬をいだいたことは当然なことであったでしょう。
そこに、素朴な古代宗教が生まれた。素朴ながらも、人間の証としてのひとつの直観智とでもいえるでしょうか。
ともあれ朝は、太陽がこうこうと昇る。夕方は、天空を素晴らしく赤く染めながら夕日が沈む。夜空には、無数の星辰が銀色に輝いている。
まことに絶妙な自身と宇宙との舞台を思うとき、おのずから人は、深遠なる感情をいだかざるをえなくなってくる。科学の知識がなくても、人は毎日昇りゆく、あの太陽の恵みの作用を、経験から学びとってきたといえるでしょう。
人間は自己の知識ゆえに、傲慢になったとき、じつは、なにもみえなくなるものです。
木口 ええ、この太陽への感謝と鑚仰が、古代人の心に生まれていたことは、エスキモーから日本人にいたるまで、ほとんどの民族に太陽神の信仰があったことをみても、十分理解できますね。
―― 考えてみますと、必ずしも理屈や知識を知ったうえで、物事や事象を信頼したり、把握しているとはかぎらないですね。
池田 そうです。じかに経験し、体得していくことのほうが、実像と直結できることも一面の真実といえるでしょう。
木口 偉大といわれる人物についてもそう思います。ふつう、その人物の思想をいちいち調べたり、一冊の著書を読んだことがなくても、その人物の実際の行動や姿を見て、経験的に、信頼感や尊敬心を強めていくことがあります。
―― もっと正確に知ったほうがより深く理解し、真に尊敬できるということもあります。そうされると逆に、メッキがはげ落ちてしまうような人もいますが。(笑い)
木口 古代人は、太陽や星を真剣に観察し、日の出、日没の位置が変わり、また星座が移動していくのを見て、季節が変わっていくことを知った。
日食や月食も、周期性があることに気づきます。そこで、こうした現象をもっと詳しく知ることができたら、ずいぶん便利だろうと考えていったわけです。
―― そこから文明の起源が始まるわけですね。
木口 ええ、天文学の起源と文明の起源は、だいたい一致しているようです。
―― 古代人は、端的な言い方をすれば、みなそれなりに天文学者だった、ということになりますね。
池田 そうでしょうね。
狩猟にしても、遊牧にしても、農耕にしても、漁業にしても、それにたずさわる人々は、たしかに天体の運行と、密接な関係をもってきた。素晴らしき体験である、と思います。
素晴らしき生きた科学者であり、天文学者であったかもしれない。
種まきの時期を、おのずから知っている。狩りや遊牧の好期も知っている。漁期のよき季節も知っている。それは、まことに正確であった。
それを体得していなければ、自らの生死を分けてしまうという、本然的な知恵がわいてきたのでしょうね。
木口 地球を離れて人生はないし、宇宙を離れて地球も、また人間もない。このかかわりあいは、永遠にわたる真理だと思います。
池田 「考える」という単語は、英語で「コンシダー」(consider)といいますが、その語源は星(star)からきていて、「惑星とともに」という意義があるようですね。
惑星と人間とのかかわりあいを、真剣に考えたことが、そうした言葉となったようですね。
ですから、天体との相関関係のうえに何千年来、生きてきた人間というものの一念は、常にそこを起点として今日まできたといっても過言ではないでしょう。
木口 たしかに「時」を間違えると、収穫はない。「時」を間違えると、その年から飢えの恐怖に脅えねばならなかったわけですからね。
池田 ええ、それだけに昔から、天文観察はまさしく神聖視されたようです。場合によっては、その管理を権力者が独占し、神官を兼ねるようにまでなりますね。
―― 祭政一致ですね。
池田 そうです。
王は、神殿に大衆を集め、たとえば日食や月食など、周期によって起こる天体の変化を見せて、権力を保持するために役立てていったのでしょう。
木口 そう思います。エジプトのルクソールにあるカルナック神殿などが有名です。またイギリスには、ストーン・ヘンジという不思議な古代遺跡がありますが、最近になって、大きな話題になりましたね。今日考えると、それが天文台ではなかったかと推定されております。
―― 二十年ぐらい前に、G・S・ホーキンズという天文学者が、『ネイチュア』という科学雑誌に、「ストーン・ヘンジの解読」という論文を発表して、大反響を呼びましたね。
木口 ええ、「天文考古学」という、新しい学問が生まれるきっかけにもなりました。
7 日食と王の権威を物語るエピソード
―― 高松塚古墳が発見されたとき(一九七二年三月)、壁に天体図が描かれていました。名誉会長はそれをとおして、古代日本の天文観測が中国の星宿観の影響下にあったことを考察されていましたが、古代中国でも天文学は、そうとう進歩していたのではないでしょうか。
池田 そう思います。
中国では、必ずといってよいぐらい、宮廷には天文官がいた。そして、天体を専門的に観測し暦をつくらせていたようです。
―― あの有名な歴史家の司馬遷も代々、この職務を受け継いできたことを『史記』に書いていますね。
池田 ええ。この大事な職にいたために、司馬遷はこのうえない辱めをうけながら、憤死することもできなかったという、有名な逸話もありますね。
―― そのことは、創価大学での講演(一九八一年十月、大学祭)「迫害と人生」のなかで詳しく話されましたね。これなどは、与えられた「立場」が人間的な苦悩を克服する発条になったという話ですね。
池田 そのとおりです。
古代中国には、天に代わって民を治めるという、天帝の思想が強くあった。とくに天体の運行資料は、天文官が取り次ぎ、帝王によってしか知らされることはなかったようです。
木口 日食の予報などは、王としては威厳を示すうえで、絶好のチャンスだったのでしょうね。
池田 そうです。
たしか『書経』という古代中国の歴史書には、日食と王の権威を物語るエピソードが載っていましたね。
―― 具体的には、どんな内容ですか。
池田 そうですね。
いまから四千年以上も昔、夏という時代に、義と和という二人の天文官がいたそうです。
あるとき、二人は怠けて、日食の予報を帝王に報告しなかった。ですから、とつぜん日食が起こってしまい、そのために帝王の権威は、台無しになってしまった。そこで怒った帝王は、この怠けた二人を、ただちに死刑に処したという話です。
木口 天体の変化を、権力の示威に使っていたという、格好の逸話ですね。
池田 どこかで聞いた話ですが、現在の天文学では、この二千数百年前に書かれた『書経』にある記録の日時から、このときの日食が何千年前に実際に起こったかどうかを確認できるそうですね。
木口 そうですね。『書経』という歴史書の記述に、そのときの日食の日時が出ているなら当然、計算できます。
―― そうですか。ということは、天体の運行は四千年前も現在も、それほど変化がみられないということですね。
8 星座の名前はだれがつけたのか
木口 ええ、そうです。みかけはともかく、運行の法則はまったく変わっておりません。みかけといえば、星座も、古代文明の発祥の地のひとつであるメソポタミア地方で、羊を飼って生活していたカルデア人が考えだしたものです。
―― すると、いまから五千年も前にさかのぼるわけですね。
木口 ええ、羊の番をしながら、夜ごと無数の星を眺め、人や動物の形に、星と星とを結んでいったわけです。「おうし」「しし」「さそり」「やぎ」など、十二の星座をつくっています。
池田 それが、ギリシャに伝えられてきたものですね。初めは、わりあいに粗雑にとらえられていたかもしれませんが、ギリシャ文明に入ったときには、そうとう洗練されたかたちになっていたのでしょう。
ところで、星座には「ゾウ」や「ワニ」や「トラ」などの名が出てきませんね。(笑い)
―― これは、そうした動物がいない地方で星座が生まれた証拠だ、という説もありますが。
木口 ええ、そのようです。それとメソポタミア地方から、石標かなにかに使われたと思われる「境界石」というのが発掘されましたが、それにも、太陽や月、星と一緒に、星座の名称になっている動物の絵が描かれています。
―― いま世界の星座は、いくつになっていますか。
木口 ギリシャ時代には、北半球から見える星座を整理して、四十八にしましたが、その後、南半球のも加えられ、複雑になりました。
そこで五十年ほど前に、国際天文連合(当時は国際天文同盟)の総会で、八十八星座にすることが決定されました。
これが、世界中で用いられているわけです。
池田 星座は、それぞれ自分の国の呼び方になっていますね。
木口 ええ。たとえば、おとめ座は、イギリスでは、「ヴァージン」(virgin)です。
池田 混乱しませんか。
木口 ええ、正式には、ラテン語の学名を用います。これは、世界中どこでも通用します。
9 二千年前につくられた渾天儀
池田 とくに、夏の夜空の星座は見事ですね。五千年来、この夜空を眺めながら多くの英雄、権力者、哲人、詩人などが、さまざまなロマンと真理を思い描きながら思索したことでしょう。
―― そのとおりですね。古代人は、夜、火が消えてしまうと、月と星々の明かりだけが身近を照らしたと思います。
池田 電灯のなき時代は、日の出とともに起き、夕日が沈むとともに、わずかな灯を見ながら休む。
ゆえに、本然的な才知、生命の充実感が発散して、さまざまな見事なる芸術品や美術品ができたという人もおりますね。
木口 たしかに人間には、時代の進展、科学の進歩に順応しやすい、なんらかの微妙なものがあるかもしれませんね。文明以前の人間の生活は、想像以上に天体とか、自然とかに一体感を深くもっていたことがよくわかります。
―― そして、感謝と鑚仰ですね。
池田 そうです。その謙虚さから、天空と人間を解釈する宇宙観は、出発したといえます。
木口 現代科学の最先端にたつ宇宙科学の発祥も、原点は、あわよくば宇宙を科学の従僕にし、どこまで利用できるか、という征服欲ではなかったと思います。
―― 宇宙を考える原点が、だんだん遠のいたからでしょうか。都会では、満天にきらめく星を眺めることもできなくなりました。
池田 そうですね。二十数年前にもなりましょうか。一見の価値があるという勧めもあり、渋谷のプラネタリウムを見に行ったことがあります。
そこで驚いたのは、東京でも、本当はこんなに無数の星が輝き存在しているということでした。地球の自転のため、夕方見えていた星座は、しだいに西方に移る。東天が明るくなるにつれ、今度は、まったく異なった星座に舞台が変わる壮観さを目の当たりにして、音もなく悠然と回転する地軸の動きを、なんとなく感じとれるような気がしましたね。
このときの実感は、生涯忘れることができない。多くの少年たちにも、こういった夢をもたせたいですね。
―― 最近では、日食や彗星から人工衛星の軌道まで演出しているようです。
池田 ああ、そうですか。
木口 プラネタリウムの原型は、中国にあるそうですね。まだ、見たことはありませんが……。
池田 そうです。北京の観象台というところに展示されている渾天儀というものです。二千年前につくられたという説明をうけたことがあります。
―― 素晴らしいことですね。
10 「生命的空間」としての宇宙
木口 古代の中国で生まれた「宇宙」という言葉も、考えてみると意味の深い文字のようですね。
池田 そうです。宇宙の「宇」は、空間が無限大に広がっていることを意味している。宇宙の「宙」は、時間が永遠の流れになっている意義です。
―― そういう範疇の広さと時の流れをもっているとは、ちょっと、いままでは考えてもみませんでした。宇宙に目を向けはじめると、感激と鑚仰になってくる……。
池田 そうですね。
謙虚さをもって天空を見、謙虚さをもって人間をみつめていないと、深い真実の生命観、宇宙観は、ありのままに観察できなくなってしまう。
ですから、大空間のつづくかぎり、それが四方に、八方に、十方にと広がり、時が刻々と流れゆくかぎり、尽未来劫にわたるのが「宇宙」ということになりますね。
この東西南北の四方に四維(西北、西南、東北、東南)を加えて八方、それに上下を入れた十方という言葉も、仏法から出たものです。
「宇宙」には、未知なる、無限に存在するものがあまりにも多い。
「無」でなくして、「有」。そして無限に存在するものでありながら、私どもの頭脳では、いまだに解明することができない。
そこで仏法では、「不可思議な空間」ととらえたわけで、この不可思議ということは「妙」ということであり、そこに脈動する法をさして、「妙法」といったわけですね。
ただここで、考察しなければならない課題は、科学的に把握分析した生命とか、宇宙に対して、仏法では自我の存在する小宇宙ならびに、それからとらえた宇宙というものを、「生命的空間」としてとらえている次元もあることです。
木口 宇宙それ自体を「生命」ととらえる仏法の認識は、まさに先見的なとらえ方だと思います。
近代の宇宙論になって、初めてものさしと時計に代表される空間と時間の観点から、宇宙を解釈するようになりました。そして人間の意識の観点から宇宙が論ぜられるようになったのは、一九二五年以降のことです。
現在の量子論的宇宙論では、人間の主観が宇宙論の中心的な概念になっており、二十年前とは異なり、いまでは物理学者が宇宙の意味論を自信をもって発言するようになっています。したがって、「生命的空間」としてのとらえ方は、物理学者としても十分に知りたい点です。
池田 そうですか。詳しい説明ははぶきますが、そのためには、やはり「空」という実在の論議に入らざるをえなくなりますね。
つまり「空」「仮」「中」の三諦の「空」のことであり、「成」「住」「壊」「空」の四劫の「空」のことです。また、この実在するそのものを、仏法では「我」ととらえるとらえ方もあります。
さらに仏法では、実在するものの、すべてを「成」「住」「壊」「空」の法則にのっとっていく、ととらえます。
―― すると、この「空」が西洋哲学ではとらえがたいですね。「空」については、ぜひ詳しくうかがいたい点ですので、改めて論じていただきたいと思います。
池田 わかりました。
11 「天文」をどう解釈すべきか
―― ところで、「宇宙」よりもう少し狭い意味になるようですが、「天文」とは、どう解釈できますか。
木口 英語では、「アストロノミー」(astronomy)ですね。天の紋様ということでしょう。天体の運行は、天にあやなす紋様であり、天の意志を伝える文になりますね。
天文学は、それを読みとる学問ということでしょう。
―― 英語で「宇宙」は「コスモス」(cosmos)ですが、ギリシャ語からきていますね。いままでのお話をうかがいますと、東洋では、天体を主観視しているのに比べ、西洋は、向かい合う対象という意味合いが強いように思います。
池田 そういえる面もありますね。
ギリシャ語の「コスモス」は「カオス」に対する言葉ですね。
木口 ええ、この世の始まりの「混沌」(カオス)の状態が、しだいに収まり、よく整えられた「秩序」(コスモス)になっていくという意味から生まれたようです。
―― 初め「コスモス」は、「世界」と訳されていたといわれますね。
池田 実際の「世界」が、少しもコスモス(秩序)でないから、「宇宙」の意味に使うようになったのかもしれませんね。(笑い)
木口 実際に、先生の言われるような経過もあったようです。仏教では、「宇宙」にあたる言葉は、どうでしょうか。
池田 そうですね。
仏法は、八万法蔵といわれる膨大な経巻全体が、生命空間としての「宇宙」と、その一切をつかさどる「法」の体系といえるでしょう。
「宇宙」という言葉は、中国やギリシャ思想のとらえた概念では、やはり仏法の部分観になってしまいます。
あえて言えば、「十方法界」になりましょうか。
ただ、最も大事な生命論の体系が、中国の「宇宙」にも、ギリシャの「コスモス」にもそなわっていないという点を見落としてはならないことです。
仏法の宇宙観は、アインシュタインが予言し、現代科学がめざしている「大統一理論」などが、最終的に究められることによって、一段と理解がすすむと、私はみています。
12 「大統一理論」実証の可能性
木口 なるほど、「大統一理論」は、電磁気の統一以来の空前の大テーマです。しかし、まだ一部分の統一ができることが実証されているにすぎません。
池田 この間、新しい素粒子「Zゼロ」というのが発見(一九八三年一月二十日、ジュネーブのCERN=欧州合同原子核研究所で発表)されて、また「大統一理論」の実証へ一歩前進といわれていますが。
木口 ええ、今回の「Zゼロ」の発見は、欧州の学者グループが放った大ヒットです。
―― 簡単に言うと、どういうことですか。
木口 やさしく言いましても、やはり、ちょっとむずかしくなりますが……。(笑い)
そうですね、この世に働く力、たとえば重力とか、電磁力とか、「弱い力」「強い力」というのが、バラバラにあるのではなく、宇宙ができて以来、同じ種類の力から、宇宙の環境にしたがって、いろいろと異なる力が生まれている、というのが統一理論です。
池田 なるほど、この理論を科学的に実証しようということですか。
木口 そのとおりです。これを「宇宙が始まって以来、力の源は一つだった」というところまで実証できると、「大統一理論」の達成です。
新しい科学の夜明けを告げると思います。
池田 仏法について申し上げれば、「百千枝葉の同じく一根に趣く」(「法華玄義」)「無量義とは一法より生ず」(「無量義経」)という「一根」「一法」の「妙法」を明かすため、仏教史は二千年の時間をかけたわけです。
木口 「大統一理論」が確立しますと、お話のように、もう一歩、「妙法」の深遠に迫ることができるかもしれません。
―― いまのお話などをうかがいますと、たしかに仏法の宇宙観は、ギリシャ的な「秩序」という宇宙をたんに客観視した意味とは、比較しようがないほど深遠なものですね。
池田 そうです。
むしろ、「宇宙」や「コスモス」というレベルの宇宙観は、小乗教といって、人々をより高い仏法の次元に導くために説いた教説に出てきます。
13 星辰と語り合うような人生を
―― 釈迦仏法の小乗教では、「須弥山」を中心とした宇宙観というより世界観があるというとらえ方になっていますね。
池田 そうです。
いまから千五百年前にインドに世親という学僧がいた。そして小乗教を修行していたころ、『倶舎論』という本をまとめたのですが。
―― それは先日、『哲学事典』(平凡社刊)を見ましたら、仏教入門の説とありましたが。
池田 その程度のレベルといっていいでしょう。
この『倶舎論』のなかに「分別世品」という章がある。ここで説かれる宇宙観は、古代インドのものを反映した内容になっています。
木口 世親という人は、どういう人ですか。
池田 四世紀か五世紀のころ、インドで活躍した僧であったことは事実のようです。たいへん広い分野の知識に通じていましたが、仏教では小乗教をとくに深めていたようです。
のちになって、兄の無著に説得されて、小乗教に固執していた非を悔い、舌を切ろうとする。だが、再び兄に諭され、大乗教の布教に立ち上がる、という有名な説話が残されています。
―― 仏教の入門書のような『倶舎論』で説く宇宙論などでも、「仏教の宇宙観は近代の科学的宇宙観と驚くほど似ていることがわかる」「二千年前の言語を現代語に翻訳したら、現代の宇宙観にほぼ遠からぬものができるのではないか」(『須弥山と極楽』定方晟著、講談社刊)と指摘する学者もいますが。
池田 表現などには、抽象的なところもありますが、そのようなとらえ方は、正しいといえるでしょう。
ともかく、私どもは星降る天空を仰ぎ見て、星辰と語り合うような、おおらかな人生でありたいものですね。
―― 名誉会長の『若き日の日記』を拝見しますと、青春のころから、そうした考え方が一貫していますね。
木口 私もそう思います。いま時代の趨勢も、その方向に向かっているのは確実ですね。現代文明を覚醒させるチャンスでしょう。
―― 先日も、桜井邦朋博士が「自然が織りなす天空の交響楽ともいうべき星のまたたきを、もっと現代人は身近にすべきだ」と述べていました。
池田 なるほど、「ひからびた知識よりも、まず自然のなかに包みこまれることを経験することのほうが、いまでは大切なのだ」という見識は、私も同感ですね。
木口 桜井博士は、私の先輩にあたりますが……。
―― そうですか。
木口 アメリカ科学アカデミーに招かれて、NASA(米航空宇宙局)で長く研究生活をつづけてこられました。
池田 木口さんも、立派な先輩に恵まれていますね。
木口 おかげさまで、先輩にだけは……。(笑い)
池田 いやいや、木口博士も前途洋々です。
木口 ご期待に背かぬよう頑張ります。