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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 仏法と宇宙と人生と①…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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11  「天文」をどう解釈すべきか
 ―― ところで、「宇宙」よりもう少し狭い意味になるようですが、「天文」とは、どう解釈できますか。
 木口 英語では、「アストロノミー」(astronomy)ですね。天の紋様ということでしょう。天体の運行は、天にあやなす紋様であり、天の意志を伝える文になりますね。
 天文学は、それを読みとる学問ということでしょう。
 ―― 英語で「宇宙」は「コスモス」(cosmos)ですが、ギリシャ語からきていますね。いままでのお話をうかがいますと、東洋では、天体を主観視しているのに比べ、西洋は、向かい合う対象という意味合いが強いように思います。
 池田 そういえる面もありますね。
 ギリシャ語の「コスモス」は「カオス」に対する言葉ですね。
 木口 ええ、この世の始まりの「混沌」(カオス)の状態が、しだいに収まり、よく整えられた「秩序」(コスモス)になっていくという意味から生まれたようです。
 ―― 初め「コスモス」は、「世界」と訳されていたといわれますね。
 池田 実際の「世界」が、少しもコスモス(秩序)でないから、「宇宙」の意味に使うようになったのかもしれませんね。(笑い)
 木口 実際に、先生の言われるような経過もあったようです。仏教では、「宇宙」にあたる言葉は、どうでしょうか。
 池田 そうですね。
 仏法は、八万法蔵といわれる膨大な経巻全体が、生命空間としての「宇宙」と、その一切をつかさどる「法」の体系といえるでしょう。
 「宇宙」という言葉は、中国やギリシャ思想のとらえた概念では、やはり仏法の部分観になってしまいます。
 あえて言えば、「十方法界」になりましょうか。
 ただ、最も大事な生命論の体系が、中国の「宇宙」にも、ギリシャの「コスモス」にもそなわっていないという点を見落としてはならないことです。
 仏法の宇宙観は、アインシュタインが予言し、現代科学がめざしている「大統一理論」などが、最終的に究められることによって、一段と理解がすすむと、私はみています。
12  「大統一理論」実証の可能性
 木口 なるほど、「大統一理論」は、電磁気の統一以来の空前の大テーマです。しかし、まだ一部分の統一ができることが実証されているにすぎません。
 池田 この間、新しい素粒子「Zゼロ」というのが発見(一九八三年一月二十日、ジュネーブのCERN=欧州合同原子核研究所で発表)されて、また「大統一理論」の実証へ一歩前進といわれていますが。
 木口 ええ、今回の「Zゼロ」の発見は、欧州の学者グループが放った大ヒットです。
 ―― 簡単に言うと、どういうことですか。
 木口 やさしく言いましても、やはり、ちょっとむずかしくなりますが……。(笑い)
 そうですね、この世に働く力、たとえば重力とか、電磁力とか、「弱い力」「強い力」というのが、バラバラにあるのではなく、宇宙ができて以来、同じ種類の力から、宇宙の環境にしたがって、いろいろと異なる力が生まれている、というのが統一理論です。
 池田 なるほど、この理論を科学的に実証しようということですか。
 木口 そのとおりです。これを「宇宙が始まって以来、力の源は一つだった」というところまで実証できると、「大統一理論」の達成です。
 新しい科学の夜明けを告げると思います。
 池田 仏法について申し上げれば、「百千枝葉の同じく一根に趣く」(「法華玄義」)「無量義とは一法より生ず」(「無量義経」)という「一根」「一法」の「妙法」を明かすため、仏教史は二千年の時間をかけたわけです。
 木口 「大統一理論」が確立しますと、お話のように、もう一歩、「妙法」の深遠に迫ることができるかもしれません。
 ―― いまのお話などをうかがいますと、たしかに仏法の宇宙観は、ギリシャ的な「秩序」という宇宙をたんに客観視した意味とは、比較しようがないほど深遠なものですね。
 池田 そうです。
 むしろ、「宇宙」や「コスモス」というレベルの宇宙観は、小乗教といって、人々をより高い仏法の次元に導くために説いた教説に出てきます。
13  星辰と語り合うような人生を
 ―― 釈迦仏法の小乗教では、「須弥山」を中心とした宇宙観というより世界観があるというとらえ方になっていますね。
 池田 そうです。
 いまから千五百年前にインドに世親という学僧がいた。そして小乗教を修行していたころ、『倶舎論』という本をまとめたのですが。
 ―― それは先日、『哲学事典』(平凡社刊)を見ましたら、仏教入門の説とありましたが。
 池田 その程度のレベルといっていいでしょう。
 この『倶舎論』のなかに「分別世品」という章がある。ここで説かれる宇宙観は、古代インドのものを反映した内容になっています。
 木口 世親という人は、どういう人ですか。
 池田 四世紀か五世紀のころ、インドで活躍した僧であったことは事実のようです。たいへん広い分野の知識に通じていましたが、仏教では小乗教をとくに深めていたようです。
 のちになって、兄の無著に説得されて、小乗教に固執していた非を悔い、舌を切ろうとする。だが、再び兄に諭され、大乗教の布教に立ち上がる、という有名な説話が残されています。
 ―― 仏教の入門書のような『倶舎論』で説く宇宙論などでも、「仏教の宇宙観は近代の科学的宇宙観と驚くほど似ていることがわかる」「二千年前の言語を現代語に翻訳したら、現代の宇宙観にほぼ遠からぬものができるのではないか」(『須弥山と極楽』定方晟著、講談社刊)と指摘する学者もいますが。
 池田 表現などには、抽象的なところもありますが、そのようなとらえ方は、正しいといえるでしょう。
 ともかく、私どもは星降る天空を仰ぎ見て、星辰と語り合うような、おおらかな人生でありたいものですね。
 ―― 名誉会長の『若き日の日記』を拝見しますと、青春のころから、そうした考え方が一貫していますね。
 木口 私もそう思います。いま時代の趨勢も、その方向に向かっているのは確実ですね。現代文明を覚醒させるチャンスでしょう。
 ―― 先日も、桜井邦朋博士が「自然が織りなす天空の交響楽ともいうべき星のまたたきを、もっと現代人は身近にすべきだ」と述べていました。
 池田 なるほど、「ひからびた知識よりも、まず自然のなかに包みこまれることを経験することのほうが、いまでは大切なのだ」という見識は、私も同感ですね。
 木口 桜井博士は、私の先輩にあたりますが……。
 ―― そうですか。
 木口 アメリカ科学アカデミーに招かれて、NASA(米航空宇宙局)で長く研究生活をつづけてこられました。
 池田 木口さんも、立派な先輩に恵まれていますね。
 木口 おかげさまで、先輩にだけは……。(笑い)
 池田 いやいや、木口博士も前途洋々です。
 木口 ご期待に背かぬよう頑張ります。

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