Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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宗教と人間の位置  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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11  仏教については、私は非常に早くから哲学的関心はいだいていました。私がそれに接したのは、シュリ・オーロビンド(インドの哲学者・神秘主義運動家)や、ヴィヴェカーナンダ(インドの宗教改革者)の註解を通じてで、私は丹念に研究しました。今から四十年以上も前のことです。
 ですから、私がお答えできることは、あくまで個人的な立場においてであって、私の視点は、かりにそれがキリスト教思想による影響を、たぶん、より深く受けているにしても、一つの試論にすぎません。
 キリスト教とその神の擬人化の概念については、いくつかの点を明らかにしておくことが重要です。宗教は、異なったさまざまな段階で説明を加えなければならない象徴を用います。たんなることばの意味の段階もあれば、さらに深い意味の段階もあります。たとえばキリスト教では、聖霊と父なる神とを区別し、さらに“父”と人間との仲介者としての“子”の概念を導入して、神の実在の中には、人間の精神にとって不可解なものがあり、それがこれらの異なった段階であらわれることを強調しています。人間と神の中間に位置する“子”の降臨は、私たちの理解を超える絶対への意識のしるしではないでしょうか。
12  しかし、たしかに、もっと別の意味があります。“子”がこの世にあらわれて、人間に対する愛から、人間の苦しみを苦しみ、また神に対する人間の愛を訴えるという事実は、私たちの情念に対する訴えです。愛とは無私であり、私たちのエゴよりも、われわれならざるもののほうを好むことであり、したがって人間においては、人間に、自分自身を超克させ、その欲望や自分自身への愛着を乗り越える道へ導く本質的な動機といえます。したがって、そこにも一つの象徴があります。私はキリスト教を擬人化したかたちにおいてのみ説明してはならないと思います。この擬人化は深い意味をもっているのですから。

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