Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

芸術と文字――東洋  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
24  一方、東洋のほうをみてみましょう。アラビア数字は、これとは逆に、図形的で、くねくねして際だった性格をもっていました。それは個性を反映するのに、ずっとよく適合していたのです。
 しかし、西洋がローマで使われた数字のかわりにアラビア数字を使うようになったとき、西洋は、その本来の、かくもしなやかさと従順性をもち、ほとんど情緒性をさえ示していたこの記号を、やはり中立化させていきました。それは、アルファベットの文字と同様、印刷文字になり型にはまったかたちになってしまったのです。
 表意文字の場合、文字による観念が個人を支配する傾向があるというあなたのご指摘は、非常に適切であると思います。それは、これまで申し上げてきたことから必然的に帰結されるところです。
25  すでにみましたように、東洋の文字は情動的な意味合いを担っています。それは、絵画において、画筆のひとはけが語りかけるのと同じように、人の心に語りかけるといえます。
 それは読者の抽象的な知覚の仕方にばかり語りかけるのではありません。なぜなら、東洋の文字は観念を浮かびあがらせると同時に、それ自体一つのイメージであり、表情豊かな、そして象徴性を帯びたイメージであるからです。そのため、読む人は、さらにひきつけられ、たんに抽象的思考のうえばかりでなく、その内面的生命の全体で、そこに参画させられるのです。
 彼は感受性をもって読み、その文字の書き方によって感情を呼びさまされ、そのもつ象徴によって心を揺り動かされます。もちろん同時に、理性的思考によって読み、その文字のもつ抽象的な意味を認識するわけですが。
 ですから、東洋の文字は、西洋の文字よりもはるかに難解であり、非実用的な面があるわけですが、はるかに偉大な人間的豊かさがあります。
 私の見解は、あなたとまったく同じです。この文字の問題に取り組むことは、東洋世界と西洋世界とのあいだにある、精神的あり方の違い、つまり思考法の違いだけでなく、その思想をどう生き、実践するかという本質的な違いをとらえる、最も直接的な手段の一つなのです。

1
24