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日蓮大聖人・池田大作

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目に見えるものを超えた芸術  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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14  池田 日本の東京では、すでに二十年以上前から、あるデパートが半円球の内側に星を電気で投影した、人工の夜空をつくって、子供たちの星座の勉強に役立てています。それは、東京の空が大気汚染と、広告用の照明等のために、晴れた夜空でも、ほとんど星が見えなくなった時期とちょうど一致しています。
 夜の星空についてばかりでなく、現代人はあらゆる場面について、プラネタリウムと同等の人工的代用品を求めています。気をつけなければならない点は、どんなに客観性を装っても、やはりそれは主観性を反映しているということです。
 明らかに作者の主観的実在をあらわしている作品にふれるときは、見る人は、その作者と対話するつもりでそれを見ます。それを客観的現実と見まちがう心配はありません。ところが、客観的実在の代用品である場合には、それ自体を客観的実在と思い込んでしまうおそれがあります。いいかえれば、作者がそこに投射している作者自身の思想や見方を、見る人は、それがあたかも自分独自の思想や見方であるかのように思い込み、偽りのものを本物と思い込んでしまうのです。つまり、一種の洗脳効果があらわれるわけで、これは全体主義におちいる危険性を要素として秘めているというべきでしょう。
15  この効果が最も気軽に活用されているのが商品広告の分野です。それが商品の購買欲をかきたてるためにのみ使われている段階では害もそれほど深刻ではありませんが、政治的信条や人種的偏見等の分野で使われると、恐ろしい結果をもたらすかもしれません。
 私は、こうした芸術その他文化的作品の中に反映された主観的側面を人びとが真っ向から受けとめ、作品にあらわされた作者の主観と語り合っていく強さを人びとが培っていくためには、自身が歴史の中に養われてきた伝統の深みを理解し、親しみ、自分のものにしていくことが大切であろうと思います。

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