Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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心の世界の総合  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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7  漠然とした有機体から自己を律する知性にいたるまでの諸段階が読みとれるこうした本質をなしているのは、ピブトー(フランス学士院会員。人類の起源と発展についての書を著している)がいった“さらなる意識と思考への上昇”です。しかし、人間によって、たんに知的水準に到達しただけでなく、人間は精神的水準に達してその絶頂をきわめることができるのです。
 このことから、これらのあらゆる部分は互いに結びついて、そこに緊密な協力関係が必要であることがわかります。現代の生活は、とくに実証科学が心の世界まで管理化し、その観点からより有効とみえるある種の要素に対して過度の優遇を加えるようになってから、これを混乱させてしまいました。つまり、その“より有効とみえるもの”が、客観的な外界の探査を可能にしているわけですが、そのことから引き出されてくるのが、数字記号によって事物を認識し、それを抽象的で論理的な結合の網の目に仕上げようとすることによる“量への退歩”なのです。
 このシステムは、今日生じているように孤立化しますと、直観的なもの、感情的なもの、広くいえば主観的と呼ばれているものの発動を妨げ、これらが使われることもなくしてしまうわけです。ところが、これらの主観的なものの協力なくしては、抽象思考はできても、精神的開花に到達することはできません。そこに人間の完成を妨げる一つの閉塞が生ずるわけです。
 知性は、その固有の機構を開発するだけで、機能的であろうとするより以上には働きませんから、あまりにも自律的になっていきます。そして、知性は、物質的なものから精神的なものへ向かう上昇の最も鋭く最も意識的な尖端であることをやめてしまうのです。
8  部分部分が結合されるうえで不可欠なこの相互補足性の第二の証拠は、もう一つ別の角度から、大脳についての最近の研究で出されたものです。一九五〇年ごろアメリカで、スペリー博士とその協力者たちによって行われた、きわめて実証的な実験で、私たちの大脳の役割を半球ごとに明確に分けることができるようになりました。それまでは、身体の各半分をつかさどっているのは、小脳における神経交差の結果、身体の右半分をつかさどっているのは左側の脳であるとされ、少なくとも右ききの人においては、この左側の脳が身体の左半分に対してよりも右半分に対して優先的な命令権をもっているとされていました。
 ところが、そうではまったくないのです。この機能的非対称性は相互に補い合っていく必要不可欠な役割をもっているのです。というのは、左半球が合理的理解や考えられ話された言語に関連しているのに対し、右半球はとくに音の質、したがって抑揚の意味(抽象された理念よりもむしろ)、音楽的なメロディーを知覚します。一般的に、右半球は聴覚的・視覚的なイメージに関係しており、このため、その幾何学的構造よりも象徴的な意味によりいっそう関係しています。
9  こうして、私たちの大脳自体が機能上、その半分は概念的なものや測定可能なものに貢献し、手の現実の行動によりよく結びついているのに対し、他の半分はなによりも特殊なものや質的なものを感じとり尊重します。これは、私たちに、客観性へ向ける能力と主観性から起こる能力とのあいだに平衡を維持できるようにしているということではないでしょうか?
 大脳の構造自体が、私たちを調和のとれた心の働きを十分にあらわさせないで、その本性に反して偏って働かせようとする錯誤から防護しようとしてくれているのです。

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