Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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幸福の問題  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
7  振り返って考えてみますと、自己と外界との関係において得られる喜びも、不動の強い自己が確立されれば、いっそう幅が広くなって多くなりますし、いっそう長つづきするものになります。たとえば、山に登ることは、病気で体力のない人や、山登りの技術も、その山についての知識もない人にとっては、たいへんな苦しみであり、また危険なことでしょう。しかし、健康で体力があり、技術も知識ももっている人にとっては、山が険しければ険しいほど、それを登り、頂を征服することは、より大きい喜びをもたらしてくれます。
 人生において、外界とのあいだに生ずるさまざまな事象は、自己を十分に確立し、豊かにしていない人にとっては、苦しみの連続となりましょう。しかし、不動の自己を樹立し、生命のもつ力を強靭にし、知恵も豊かに開発している人にとっては、あらゆる苦しみが、むしろ楽しみの要因とさえなるはずです。
8  さらに、たんに自分の問題のみにとらわれて精一杯であるというのでなく、他の人びとにも力を貸してあげることができ、自分の存在が多くの人びとにとって、なんらかの利益をもたらしていることを実感するならば、喜びは、さらに大きく、深いものとなりましょう。
 仏教は、生と死という、だれびとも避けられない自己の変化をさえ超えて、永遠に変わらない生命を覚知し、そこから、生死という現象によって生ずる、最も本源的な苦悩をも克服する道を開いたのです。これ自体は、仏教の信仰者にしか理解しがたい悟りの世界の問題になりますが、この同様の原理は、あらゆる人間存在にとって相通ずる、幸福生活確立の鍵といえます。
 私は、幸福を求めながらも、その条件を外界の、しかも物質的世界にばかり求めて、かえって、人間としての堕落の道を知らずしらず歩んでいる現代の人びとを見るとき、まず、幸福とはいかなるものであり、どこから生じ、いかにして、より持続的で深い幸福へと進むことができるのかというこの問題を探究することが必要であると思うのです。

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