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日蓮大聖人・池田大作

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平和  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
7  これと類似したものとして、過去には、たしかに宗教がありました。しかし、現代社会においては、宗教の凋落とともに、その争いも消失の一途をたどり、世界教化運動も沈静しています。同じように、国家の本質も超克されつつあると、一応はいうことができましょう。しかし、超国家たちは、経済面での企業合同トラストの役を演じながら、個々の国の争い(これはヨーロッパでは、戦争によって消耗しつくすまで、ほとんどやまなかったのです)に巨大な衝突の予想を付け加え、残りの世界をそこに呑みこんだのです。
 それにもかかわらず、現代生活は過去にはなかった二つの有利な要素をもっています。旅行の増加と、とくにテレビとその映像に代表される情報が計り知れないほど増大し、しかも大多数の人びとに届くようになっていることで、これらは、国際的な意識をつくりだしつつあります。もっとも現在のところは、汚染と品位低下の結果しかもたらしていませんが、技術の利用法さえ誤らなければ、人間共同体の感情を強めることができます。
8  また、科学によって武器の破壊力が増大したことが恐るべき危険をまねき、それがかえって僥倖な結果をもたらしているという見方が一般的になっています。原子爆弾の出現以来、それはあまりにも恐るべきものとなったため、責任者たちは、戦争の火ぶたを切ることに恐怖をもっているのです。これは、もはや抽象的観念ではなく、現実に働いている力となっており、すでに、ある場合には、その制御の効果が測定されています。ヒトラーのような狂気の指導者が出ないかぎり、それは有効でしょう。
 結局、すべては、人間の本性の問題に帰着します。そしてそれは、私たちがいやというほど知っているように、よい方向へ向かうどころか、堕落しています。ですから、考えなければならないのは、この人間の本性についてであり、最後の頼みの綱として働きかけなければならないのは、これに対してです。そして、そこから私たちにとって明らかなことは、あすの第一の仕事は、人間の本性に働きかけ、それを内面的豊かさへ導くことでなくてはならないということです。
9  そして、芸術が感受性に対して働きかける再生の役割を改めて強調することが大事です。愛の力のみが、人間を救うことができるのであり、芸術によって、この愛の力は維持されうるのです。なぜなら芸術は、この愛の力のたゆまざる訓練を包含しているからです。もし芸術家が、その作品の制作にあたって、愛と情熱と天賦の才能をそこに発現するなら、それを受け入れ、それに近づこうとする観覧者は、やはり愛に似た行動によってでなければ、その作品と対話することができません。なぜなら、対話は、理解と融合のうえに成り立つからです。
 ですから、私は、教育において、文学や詩、芸術に固有の感性的行動をめざめさせ、それを訓練することに、より大きい場を与える必要性をいいたいのです。
 愛の能力は、私たち各人に潜在的にあります。それは、攻撃性に対する天性の平衡錘としてあるのです。自然は、つねに、それぞれの危険に対して応対できるものを与えてくれているのです。今日では、生理学において、抗体がいかに大きい役割をもっているかが発見されているではありませんか。心理学においても、これと似たものが、きちんとあるのです。

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