Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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“聖”なるものの役割
「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)
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私は、現代の危機を打開する力の源泉を仏教は、まちがいなく秘めていると信じています。それは、人間に自らの深い真実を覚知させることを根本にして、主体性と寛容性を確立させる教えであるからです。
“主体性”とここで私がいう意味は、本能的な欲望や衝動に引きずりまわされないことであり、したがって、物質主義への志向性に負けないことです。それは、こうした本能的欲望や衝動によって維持されているこの肉体の現実から逃避したり、それを消滅するのでなく、より強い精神的な力の樹立をめざすものです。
また“寛容性”と私がいう意味は、他の人びとの、あるいは、さらにいえば、あらゆる生命的存在のもつ生きる権利を尊重し、その精神的価値に敬意を払い、助けていこうとする姿勢です。仏教では、これを“慈悲”と呼んでいます。
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これら二つの力――すなわち一つは自己の確立という求心的な力であり、もう一つは、そこから、他者へ向かう遠心的な力――の均衡と、より以上の増幅を可能にする根本が、自らの深い真実の覚知という一点です。仏教の教えと修行の核は、まさにここにあるといっても過言ではありません。“仏陀(ぶつだ)bouddha”とは“覚り・智慧bodhi”を得た人という意味であり、この覚り・智慧とは、あらゆる人間、あらゆる生命的存在、さらにあらゆる事物の深い奥底に共通して貫いている宇宙的真理の覚知にほかならないのです。
ともあれ、仏教は、物質主義的な現実の世界から逃れるのでも、それを否定するのでもなく、それを主導していける精神的力を人間の内にめざめさせるのですから、現実のこの人類社会の未来を開く力の源泉になることが可能であると私は考えています。
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