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日蓮大聖人・池田大作

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現代人  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
8  アメリカ人が先住民であるインディアンのために“保護地区”を残したのと同じように、現代人は、文学、詩、そして芸術という“保護地区”を維持しているわけですが、これらのすべてが今日私たちが好んでいう“欲求不満”におちいった異常な人間の苦悩をあらわしています。
 人間が前時代の規範の中に固定されたままでいないことは、正常であり健全なことです。また、新しい時代に足を踏み入れ、新しい必要に応じて新しい文明を構築しようと望むことも正常かつ健全なことです。しかし、現代人の悲劇は、人間の規模でこの新しい文明を創造することができないことなのです。人間の全体の中の他の能力が傷つけられ死滅している場合、そこで最も有効なものとしてあらわれる才能の発展に対応するだけでは、不十分です。現代の危機のよってきたる根源は、ここにあります。
9  私たちが、今、待ち、期待できるのはなんでしょうか? 生命をあてにすることでしょうか。たしかに、生命は、その間違いのない本能で、一時的には必要な反応を保証することができます。生命はその平衡を守るために、これと反対の一歩を進めます。
 しかしながら、自らなにもしないで、そうした本能にまかせたり、この平衡作用、つまり、現代科学の専門用語を借りていえば“フィード・バック”を盲目的に信ずることはしないようにしましょう。この“フィード・バック”は、一つの方向に行きすぎると、反対の意味での反動をひきおこすのです。それはちょうど、ボートが右に傾くと、周知のように、平衡をとるために左へ傾こうとする力がそこに加わるのと同じです。しかし、そのとき、二つの可能性があります。一つはもとへ無事に戻ることであり、もう一つは、同じ側への傾きをどこまでも強め、転覆することです。後の場合が破局です。
10  このいずれを選ぶかに私たちの現在の運命がかかっていることを自覚しましょう。前者を選べば、私たちはたぶん、辛い反動を受けることになるでしょう。なぜなら、反動は私たちの盲従している傾向に逆らって起こるからです。しかし、また、もう一つのほうを選んで同じこの方向に固執し、どこまでも行こうとしたときには、ボートは転覆し、私たちはボートといっしょに流されるでしょう。そして、溺れるのは私たちです。なぜなら、ボートは木でできており、浮かんで漂っていきますが、私たちは水に飲みこまれてしまうのです。
 ここでボートとは生命です。生命は、ずっと存続するでしょう。しかし、私たちはたぶんいません。ですから問題は、この生命と一体になった私たち自身の生き延びることを、どう確実なものにするかです。そして、そのために、生命を助け、生命のために譲歩する必要があるのです。
 人間は、外界の征服という点で大きな前進をしてきました。その代償として、自分自身の制御を失う危機に直面しているのです。物質的な卑しい強欲にとらわれて、人間は自分の固有の使命、自らの存在理由を忘却しています。人間は自身の抑制力を取り戻し、そのほんとうの開花ということの意味を再発見しなければなりません。

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