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日蓮大聖人・池田大作

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ブルジョアの興隆  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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6  その反対に、深く創造的な感受性から生ずるものはすべて、事物と理性の秩序を乱すものとして排除されます。夢や想像、神話といった精神性への飛躍であるようなものはすべて、“現実性”に背を向ける疑いのあるものとなります。主観的なものは客観的なものの利益のために放棄されます。客観性は外部世界の認識に没頭し、それを生産的で取り引き可能な、つまり、すぐ金銭に転換できる物に還元するのです。このようなものが、一つの厳密な方法で発展し体系化しながら、そこから生じた科学と諸技術を発生させた精神なのです。
 ブルジョアジーは十二、三世紀の西欧で形成されたものです。アッシジの聖フランシス(フランチェスコ修道会の創立者。)の例は、研究される値打ちが十分あります。フランシスは、ラシャ商人の息子です。しかし、神秘主義にまで達する深い信仰が、彼のうちに感受性のばねを保持し高めているのです。
7  フランソワ・シェニク(フランスの経済学者)は最近の著作で、フランシスが“精神的ヨガ”を想起させるほどに“根底的な精神の道”を覚知していたこと、彼の思想は東洋の神秘思想と一致しているとさえ述べています。そのため彼は悪評をかい、父親からも社会からも、そしてなによりも当時の教会から追放をうけたのです。彼が自らの内にもっている感覚的価値、宗教的・神秘的価値を人びとに承認させるのに、彼は驚くべき体力を消耗する戦いを必要とするでしょう。
 けれども、彼は科学につながる発展にも寄与していきます。それは、彼が神を、その物質的創造を通じ、自然を通じて崇め“わが兄弟たる太陽”と呼び、鳥や獣を“われらが兄弟”と呼びかけていることです。ですから、彼が生み出したフランシスコ派の教団は目に見える現実の世界の事物に、だれよりも愛着をいだくのです。“実験科学”ということばがルネサンスによってではなく、中世盛期の十三世紀、フランシスコ派の僧であるロジャー・ベーコンによって創られたのも、このためだったのです。
8  もちろん、この人を、もう一人のベーコンつまりフランシス・ベーコンと混同してはなりません。フランシス・ベーコンのほうは、十六世紀末に、実験的な方法を整備することになるわけですが、この三百年早くあらわれた“実験的”という同じことばが、すでに一つの新しい概念をめざして発展していたことがうかがわれます。
 これと同じ方向の変化が神学の発展の中に認められます。ブルジョアの世紀つまり十三世紀までは思考の師はプラトンでした。十三世紀以後は、アリストテレスの権威が全面的といっていいほどにまで増大します。
 それが問い直されるのがルネサンスです。それまでのあいだ、実験的な確認が観念の絶対性に対し優位をしだいに占めていきます。

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