Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第三世界  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
7  あなたは、過去の文明の凋落においては“蛮族”の侵入が新しい血を注入したが、現代の危機については、そういうことが起こる可能性はほとんどないといわれました。
 私が思うのに、新しい生命を吹き込むものは、外からの物質的・空間的要素ではなく、それは、むしろ、内的生命の発展に求められるべきでしょう。
 あなたのご意見のなかで、私は、さもありなんと承った点があります。
 それは、あなたが北アフリカの旅で、人びとに科学技術文明の危機を彼らに訴えても納得してもらえず、彼らが「あなた方と同じ線に到達したときに教えてもらえばよい」と言ったという話です。
 これは、ほんとうは奇妙な表現です。同じ線に到達したときには、彼らはなにも教わる必要がないでしょうから。そして、そのときには、取り返しのつかないものをすでに失っており、たとえ教わっても無意味になっているかもしれないのです。おそらく彼らにとっては、遠い先に予想される科学技術文明の危機よりも現在のさまざまな困難、貧困とか伝染病とかの危機のほうが切実であるから、こう答えたのだと思います。たしかに、彼らは、単純に科学技術文明にあこがれているのではなく、現実の苦しみを打開することに心を奪われているのです。
8  しかし、その深刻さの大小はあれ、科学技術文明の危機が全人類を巻き込んでいきつつあることは事実であり、したがって、文明先進国の人びとだけが危機の事態を認識すればよいというわけにはいきません。第三世界の人たちにも知らせていかなくてはならない問題です。
 しかし、ここでむずかしさが出てくるのは、文明先進国が、どのようなかたちで彼らにそれを認識させていくかという方法上の問題です。
 彼らのこのような考え方の背後には、先進諸国と、遅れた自国の状態とのあいだにある、あまりにも大きな水準の格差に対する不満があります。また、文明先進国のこれまでの横暴さ、勝手さに対する憤りも感じられます。この精神的状況は北アフリカの若者だけに固有のものではなく、きわめて広く行きわたっている一般的なものであるように私には思われます。立ち遅れているということから、第三世界の国ぐにと文明先進国とのあいだにあるあまりにも大きな違いに直面し、強い不満を感じているのです。
 そこに第三世界の人たちへの説得がたいへんむずかしい原因があると思うのです。いかに“調和”とか“協調”を訴えても、根底に格差の現実と“不信感”があれば無意味です。まず、この格差をなくすよう努め、不信感を取り除くことが先決であり、その誠意の行動をとおして危機を説いていくことが大切でしょう。

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