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日蓮大聖人・池田大作

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合理主義の狂気性  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
11  仏教は人間性に対する深い省察、万象への鋭い観照によって、万物を貫く理法の存在を説き、その理法を自己の生命に肉化し一体化することによって、完全な解脱を得られることを示しました。解脱とは自己の人間性を拘束するものから解き放たれることです。その仏教が明らかにした理法の基本的なものは生命現象のあらわす因果の法です。これは現代社会がかかえる問題に対し大きな示唆を与えてくれるものですが、しかし、理論として理解したのみでは、真の解決がもたらされないのは、いうまでもありません。ここに私が、哲学だけではなく、宗教が現代に必要であることを主張するゆえんがあります。
12  ユイグ 現代の人間の欠陥は、たんに自分のエゴにしか耳を傾けず自然界を無分別に開発することに没頭しているだけでなく、それに加えて、このエゴイズムの盲目の中で向こうみずなやり方で自らの貪欲に身をまかせていることです。彼は望ましい餌食しかみず、それを手に入れる手段しか考えず、そのために生ずる厄介で、しかも取り返しのつかない結果については予測しようともしません。そして、このいわゆる成功が自分自身に刃向かってくることには思いも及ばないのです。それについては、さきほど複産結果の危険として私たちが話し合ったとおりです。
 一つの目的をめざし、それを達する最短の道を考えることは、往々にして盲目的な論理から出てきます。なぜなら、自然は複雑であり、私たちの一方的で単純な思考を当惑させ、私たちが目的達成のためにやっていることは、しばしば、破局――あなたが言及されている“予期しない災厄”をひきおこすだけだからです。
 あなたもその危険性を正しく警告されている、この自然環境の不均衡については、一つの事例がそれを明らかに示しています。ナイル川につくられた巨大なアスワン・ハイ・ダムがその例です。ナセルは、工業のエネルギー源を国内でまかなうという夢を実現しようとして、このダムの建設にたいへんな関心を払いました。技術者たちは自分たちに求められたことを実現しました。
13  しかし、数年後、科学者たちの計画でもまったく予測されなかった、自然系の混乱という反撃にあっているのです。水の流れの変更は、農業を低下させ、気候を変え、エジプトをかたちづくっていた生態学的均衡を破壊しています。そのほかの、立ち退かされた住民や移転された歴史的建造物のことは、いうまでもありません。
 この遺跡の移転に関しても、予想はくつがえされました。アブ・シンベルの地下神殿は完璧なやり方で台地の頂上に持ち上げられました。ユネスコによって集められた全世界からの賛助のおかげで、この“技術の勝利”が祝われたのです。しかし、元の地形の中では何千年来保存されてきた岩石が、この新しい位置では、砂漠の風のために少しずつボロボロに風化していくことに、人びとは気づきはじめています。
 私たちの過度に合理化された思考は、期待される“結果”をもたらす“原因”を見つけだすことはできます。しかし、現実の無限の複雑さと、私たちの行為が生ずる思いがけない変動や混乱を感じとることはできないのです。私たちは、一つの部屋の中で、武器で標的をねらって命中させることはできます。しかし、その武器の爆発音が、窓ガラスを破壊することについては予想していないのです。

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