Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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償いの渇望  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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12  そのほか、さまざまな意味を示す表現が、あちこちに見いだされます。たとえば、技術文明に依存しているようにみえますが、アメリカの彫刻家、リッポルドの芸術などがそれです。彼は金属類をもっぱら使用します。このことは一見、機械的な世界に服従しているしるしのようにみえます。ところが反対に、釣り合いのとれた中心から出ているロープの放射状の構造は、ロープをきらめかせている光の中での発展をあらわしているのです。
 これと同じ関心事を、ブランクーシはその“鳥”によって示しました。彼はそれをアトリエの中で昼間、自分で写真にとったのですが、太陽がその頂にかかるようにし、いわば、その鳥の形にかわって、光の爆発、眩暈がそこに表現されています。このすべてが一つの深い意味をもっており、ブランクーシがこの作品の光景を写真としてとどめようと思った事実自体が、彼の心でそれが占めていた重要性を示しているのです。
13  要するに、以上のことからいえることは、こういうことです。芸術が、存在するもの、つまり、一部分は無意識にしても、一つの意味をそこにあらわすものだろうとして、それを通じて固定性をもち、見えるものとなり、明白なものとなろうとしているとき、その芸術が投影しているイメージを読み取ろうとするならば、そのイメージは、現代文明に対する二重の立場をあらわしていることが認められます。それは、まず、その欠陥や行き過ぎや脅威を前にしてますます深くなっていく不安感であり、それはついには逃避主義にまで発展していきます。しかし、また、それは、ある人びとにあっては、消極的でなく積極的な行き方によって、物質の重みを排除しつつ、ある種の上昇を行い、ついには精神に向かって飛んでいこうとする漠然とした欲求と意志をあらわしているのです。

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