Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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進歩の停止  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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5  一つの定まった原因は、同様に確定的な一つの結果を厳密に生み出すという一面的で教条的な信念は、それが経験的に証明されたものであっても、現実のもっている弾力性ともいうべきものを考慮に入れないことになります。この弾力性こそ、現実のものが自らに対して加えられた過度の作用に対する補整能力として備えているものなのです。現実の規範を乱す行き過ぎは、そのままどんどん進んで、取り返しのつかないことになるのでなく、それを中和しようとする一種の応答を奇妙な仕方で生じさせます。
 そうした例として知られている動物の世界の現象があります。それは、ある定まった面積の土地で数が増えつづけてある限度を超えた場合、破壊的な行動があらわれて(たとえば獣の互い同士の攻撃性)、数が正常な域に戻るよう減少をもたらすのです。この事実は、ネズミによって実験的に確かめられています。
 同様に、人類の過剰人口も伝染病とか戦争をひきおこしてそれを中和させるのではないかと考えられてきました。しかし、これは、そんなに確かなことでしょうか?
6  それについて科学的に考えることは、私が合理的物質主義と呼んでいる精神構造から私たちを解放する精神の変革を前提として要します。それはまさに私たちが必要としているものであります。原因と結果の関係の恒常性を厳密に計算する数学的決定論を盲目的に信ずるということはやめるべきでしょう。宗教が“摂理”と呼んできたものの速度、進み方を取る一種の矯正力を、自然の中に認めるべきです。
 事実、これがたぶん、精神的変革への第一歩でしょう。そこからのみ救いが得られるのです。しかし、私たちは危機の心理的な面を調べてからでなければ、それを当然のこととして考慮に入れることはできないでしょう。

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