Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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序文  ルネ・ユイグ  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
8  この対話は、それからそれへとさまざまな主題に移っていくこともありえたが、それを避けるために、一定の方向を定めて、しだいに対話を展開させていく必要があった。そこで最初の部分では、世界が日に日に落ち込みつつある“危機”の確認から出発し、まずわれわれの時代を最も悩ましている分野、すなわち経済分野にあらわれた物質の重要性を取り上げた。しかしこの危機がもたらしたおそらく最も重大な影響は、道徳的危機すなわち内的な痛手である。そこで対話の第二部では悪の根源を歴史的観点からさぐる。悪は、文明が長いあいだにこうむったさまざまの変動の最後の変動の時期に始まっていることが明らかになる。
 第三部は、われわれをとおして行われた変化が、なににもとづいて成り立っているか、またしだいに減少しつつあるいくつかのわれわれの本質的可能性から突如切り離された人間性に、その変化はどのような修正をもたらそうとしているかについて、さらに、その結果として、人間が危険にも失ってしまったと感じているこの均衡を、人間に取り戻させるべき救いの錘をどこにおけばよいのか、を探求している。
 そこで、第四、第五部は、危機に対する救済手段を取り上げている。まず個人の再教育方法を検討した。しかし対話は、人間にのみ属する本質的可能性から引き出すことのできる、かつ引き出すべき、すべてのものを想定した。それらの可能性の一つは芸術、もう一つは宗教であり、その二つを結ぶもの、それは“神聖”の概念である。
9  危機によって生じた問題に対峙するとき、ある一定の理論の独断的態度は禁止されなければならない。そうした合理主義は、危機そのものをさえ帯びているであろう。この危機こそわれわれがよく見きわめて批判しなければならないものである。対話の利点は、二つの異なった、しかも同じ方向をめざす考えが出合うことにある。異なった考えというのは、互いにまったく遠く離れた二つの伝統の結果を反映しているからで、その距離は、何世紀も以前から西洋と東洋をへだてている距離に相当するが、根本的に異なったそれぞれの道を経ながら、なおかつ同じ結末に向かっているところから、共通の目的を有しているといえるのである。しかも、この結末は、それが由来する二元性を担っていることによって、重要性を有するのである。

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