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日蓮大聖人・池田大作

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科学の発達の是非  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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6  ウィルソン おっしゃるように、科学の倫理規範を発達させ、機能させる機関は、利害関係をもたず、公平に見ることができる客観的な存在でなければなりません。その機関の最後のよりどころは、たんなる道徳的な権威を超えたものであることが必要でしょう。ただし、その場合には、政治の領域に巻き込まれる可能性も含まれているのですが――。また、専門的な小委員会の助言や、適切な構成の行政機関による奉仕も必要でしょう。
 これらのすべてを備えたうえで、しかもなお、その機関が政治や科学の専門的方法を超えたレベルで運営されること、そして、なかんずくそれ自体の官僚的階級制に対してはその主人であり続け、決してその下僕にならないことが絶対に必要でしょう。この機関の職員は、あらゆる種類の圧力団体――企業やマス・メディア、政府、不満分子など――の働きかけにも抗しうる、最も高潔な人たちであることが必要です。したがって、この機関の構成員は、十分に検討された、公共精神豊かな人物だけになるでしょうが、私は、そこに宗教指導者が参画することを期待します。
7  私の提案する倫理評議会は、本来、科学・技術の規制や管理をも制度化すべき性格のものです。この評議会は、その関心を、科学研究の自由の権利を維持することと同時に、新しい技術の応用の社会的・倫理的影響を考察することに置くことになるでしょう。また、この倫理評議会が管理すべき対象としては、個々の科学者よりも、むしろ科学研究所や研究財団、各国政府、そして、おそらく何よりも企業ということになるでしょう。
 このような機関が存在すること自体が、一般大衆に対して科学への関心を高めさせることになり、また、そこでは宗教指導者等の人々が機会を得て、倫理的に特に関心をもつ事柄を、この機関に注目させることにもなるでしょう。そして、そこでは、宇宙開発をその顕著な例として、政府が支援しているいくつかの科学的事業を犠牲にしても、一般大衆の関心事が取り上げられるでしょう。何百万という人々が飢餓に瀕している世界にあって、はたして宇宙開発に注がれる類いの科学への出費が正当であるかどうかを、きちんとした構成の公共の討論の場で検討することは、適切なことでしょう。

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