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日蓮大聖人・池田大作

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平等の意義  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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10  仏典の中に述べられている有名な話に、次のようなものがあります。「七人の子をもっている両親がいるとする。彼らにとって七人の子は平等に可愛いが、もし一人の子が病気をしているときには、この病気の子のために両親は特に慈愛を注ぐであろう」と。
 また、別の経典には仏法を雨に譬えて、「雨は同じように地上に降り注ぐが、その雨を得て、さまざまな植物はそれぞれに異なる葉を繁らせ、花を咲かせ、実を結ぶ。それと同じように、仏の説く法は一法であるが、人々はそれぞれの特質を発揮し、それぞれに異なる幸福の姿を現していくのである」とも説かれています。
 もちろん、仏法や仏の慈悲について説かれたことを、現実の社会や権力者にそのまま当てはめることは不可能でしょうが、少なくとも、そこには普遍的な真理が示されています。私は、社会体制や権力機構は、まず悩み苦しむ人々に、特に恩恵を及ぼすよう配慮されるべきであると考えます。そして、この人々がその苦悩を解決し、あるいは苦悩から解放されて、他の人々と同じように、逞しく人生に立ち向かっていけるようにしてあげることが肝要であると思います。
11  それとともに、あらゆる人が存分にその才能・資質を発揮できるよう、機会が平等に与えられるべきです。各人がどのような才能や資質をもっているかは各人の問題であって、社会体制や権力の関与できることでもありませんし、また関与すべきことでもありませんが、それを発揮できる条件を用意することは、社会体制や権力の姿勢・努力によって可能です。そこに、各人が異なった資質を発揮し、それぞれに違った仕事をしながら、同じように幸福と充実感を味わっていけるようになるはずです。完全な平等はありえないとしても、近づいていくことはできます。
 仏教は、各人が、仏教の信仰実践によって、自らの幸福と充実を実現していくことができるとともに、この仏教の精神を社会全体に反映していくことによって、人間の尊厳性を具現した社会を建設すべきことを教えているのです。
12  (注1)(一千年間の)至福社会至福千年説。
 キリスト教で(将来いつの日かあるとされる)キリストの再臨の日に、それまでに死んだ心正しい義人たちが復活して、地上に平和と繁栄の王国(「千年王国」)が築かれ、キリストが一千年間この王国に君臨する(その後に一般人の復活があって、最後に審判がある)という信仰。この説の根拠は「ヨハネ黙示録」(20・1―6)にある。古代教会において多くの教父が採用した説だが、四、五世紀ごろから影を潜め、キリスト教会の正統的教説とはなっていない。
 (注2)
 神の絶対的な自然法自然界の一切の事物を支配すると見られる理法。
 (注3)相対的な自然法
 人間の自然(本性)に基づく法。自然法則とは異なり、主として規範的な意味をもつ。この思想は古代ストア哲学・中世カトリック哲学・近世合理主義哲学において顕著な展開を見せた。
 (注4)エピスコパル(監督派)教会
 監督(主教・司教)をもつ教会の総称。英国国教会など。

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