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日蓮大聖人・池田大作

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人工受精について  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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5  このことを一般的な原則としたうえで、私には、ただ一つだけ例外が考えられます。それは、夫に生殖能力がないという場合です。ただし、この場合についても、さらに考察が必要となるかもしれません。
 すなわち、生殖能力のない夫が、見知らぬ提供者から妻が精子を受けるのを認めるだけでなく、そうした処置を妻が受けることを承認して署名をするほど協力的であるならば、それによって夫婦関係が脅かされる可能性は、幼い子供を養子に迎える場合とさほど変わらないといえないでしょうか。私は、日本では、さまざまな形で養子を取ることが珍しくないことを知っていますし、父親が妻の産んだ子供を“養子にする”ことのほうが、まったく別な夫婦が産んだ子供を養子として迎える場合よりも、危険であるとは考えがたいのです。
 この場合、夫は、生殖力のある精子をもっていないため、匿名の提供者の精子を貰い受けるわけです。養子縁組の場合と同様、子供ができることは、きっと夫婦関係によい影響をもたらすことでしょう。子供をもつことは決して究極の目標ではないにしても、完全に無視することのできない潜在的な機能をもつものです。
6  しかし、この場合にもなお、問題が起こるかもしれません。それは、情緒的に十分安定していない父親の場合、後になって、子供がわがままであるとか、身体的な欠陥があるとか、道徳上の不品行を犯すとか、あるいは知能の限界などといった兆しが現れた場合、それを子供の父親からの遺伝の結果だとみなすようになる可能性があります。しかし、この場合でも、純然たる養子縁組の場合よりは、悪いとはいえないでしょう。後者の場合でも、危険性はまったく同じなのであり、少なくとも人工受精の場合は、夫は、自分の妻から真の母性の歓びを奪わなかったことに満足を覚えることでしょうし、妻も、このことについては、終生夫に感謝し続けるはずです。
7  池田 日本には「生みの親より育ての親」という諺があり、血のつながりはなくても、一緒に生活していくうちに実の親子以上の愛情で結ばれる例が、古来、少なくありません。ましてや、養子に比べて、第三者の精子提供による人工受精の大きな特徴は、(夫婦の合意のうえでであれば)妻が十分に母なるものの役割を果たし、母性を味わうことができることにあると思います。
 いま指摘されたような、精神的に未熟な夫による悲劇のケースもたしかに起こりうるでしょうが、全般的には、子供が育っていくにつれて、夫も、あたかもほんとうの父であるように、父性を味わうことができるのではないでしょうか。そして、妻も、このような夫に感謝するようになるでしょう。
 このような点からいって、日本でもAID(注2)が行われていますが、今後、養子を迎えるよりも、AIDのほうを選択する人が増えてくるように思われます。日本の現状は、全体としてはまだ十分ではありませんが、ある病院の場合、健康で、遺伝学的欠陥もなく、性格的にも知能的にも問題がなく、しかも、夫の身体的・性格的特徴にできるだけ類似した素質を具えた提供者を、見出すように努力しているということが報じられています。いずれにしても大切なことは、血のつながりを超えた情愛をどう深く培っていくかであり、それは人間としての成長に係っているということでしょう。
8  (注1)試験管ベビー
 卵管不妊で子が得られない人に対し、ガラス容器内で体外受精、培養した受精卵を母体に戻し、妊娠、分娩を行う。その結果、生まれた赤ん坊をさす。
 (注2)AID
 非配偶者間人工受精(artificialinseminationbydonor)。

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