Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

共産主義と宗教  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
6  ウィルソン 少なくとも、共産諸国の中で最も進んでいるソ連には、他の先進工業諸国の特徴である世俗化の進行が、すでに芽生えていることの証左があります。一般に学者たちは、この進展が生じるのは、ソビエトの公式の宣伝の有効性によるのでも、ソ連がイデオロギーとしての非宗教主義を提唱していることによるのでもなく、むしろ、西洋諸国に世俗化を誘発させたのとまったく同じ理由による、すなわち、宗教が近代社会システムの運用にますます無関係になっているためであると考えています。つまり、学者たちは、この過程は社会構造上の理由によるものであり、イデオロギー上の理由によるものではないとしているわけです。
 これがもしその通りであり、ソ連の指導者たちがこのことを認めるようになるとすれば、彼らがその中で金縛りにあっているかに見える不安とドグマ的保守性による麻痺状態から、ゆくゆくは抜け出せるかもしれません。もしも彼らが社会の変化のあり方に真に精通しているなら、宗教を恐れることは少しもなく、異なる宗教的信仰の信奉者に寛容さを拡大しても、恐れることは少しもないことに気付くかもしれません。そして、彼らは個人の私生活レベルでは、宗教は、何らかの形で慰めと安心を与えるということ、そしてそのこと自体、共産主義政体への挑戦となるどころか、むしろ有益なクッションとさえなりうるということも、認めるようになるかもしれません。
 マルキシズムそれ自体は、一つの説明的命題として、有効な社会心理学に欠けており、ロシアで実践されている共産主義は、人間理解という面に欠けています。宗教の自由は、政治的安定を蝕むことなしに、また、あまり影響することすらなしに、共産主義社会の束縛性を減少させうるでしょう。あなたは、こうした見方に同意されますでしょうか。
7  池田 「宗教の自由は、政治的安定を蝕むことなしに、また、あまり影響することすらなしに、共産主義社会の束縛性を減少させうる」と言われたことについて、私は基本的に同意しますが、全面的にとは言いかねます。
 なぜなら、宗教の中には、たとえ抑圧的な政治に反抗するための砦とされなくとも、その教義と信仰のもたらす生き方が、政治的安定を蝕まずにおかない場合もありうるからです。しかし、それとても、宗教の自由を抑圧することによって惹起される反抗心や、一見その反対に見える無気力が生み出す社会的危険性に比べれば、はるかに軽微であろうと思われます。

1
6