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日蓮大聖人・池田大作

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宗教と全体主義  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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4  たしかに、国家といえども、支配的イデオロギーへの完全かつ公然たる同意を命令することはできませんが、しかし、反対者抑圧のための行動は採用することができます。公然たる弾圧は、左翼たると右翼たるとを問わず、全体主義政権の一つの特徴なのです。
 これに対して、宗教は、インノケンティウス三世の時代にローマ教会が人々のどんな実質的な選択も拒否しようとしたことがあったとしても、本質的には人々の自発的献身が期待できるような価値を提供します。全体主義国家が信奉するのは、歴史的・社会的な客観的事実から抽き出したと称する、政治と倫理の体系です。そのこと自体は、西洋社会を支配した時代のキリスト教が主張したことと、ほとんど変わるところがありません。ただ、世俗イデオロギーは、その価値の深い内面化には少しも頼らず、必要とされるのは外面的な服従のみであるという点が違うだけなのです。
 (これは、ある程度まで、宗教が誘発したり制約したりするものの超自然的な性格に関係があるのでしょうが)このように、宗教が心理的な方向づけを生み出すことに依存するのに対して、世俗イデオロギーが個人に要求するのは従順であることだけであって、必ずしも了承することではありません。イデオロギーが事実上の真理として表現されるのに対して、宗教は、主に象徴的に真理たるものとして呈示されればよいのです。イデオロギーが特定の国家、人種、階級の利益や価値を呈示するのに対して、宗教は、――少なくともキリスト教、仏教、イスラム教の場合――個々人が自発的に同意できるような、一群の価値体系を呈示します。そのため、宗教の場合は、献身に際しての高められた自意識が必要とされるのです。
 インノケンティウス三世の時代のように宗教が社会を支配している状況下では、たしかに圧政が増大することが考えられますし、また、場合によっては、本質的な宗教の特質とみなすべき、自発的で内面化された帰依に取って代わって、実際に圧政が支配することもあるかもしれません。
5  (注1)『現代宗教の変容』
 ブライアン・ウィルソン著、井門富二夫・中野毅訳。ヨルダン社(一九七九年)(ContemporaryTransformationofReligion,UniversityofNewcastleuponTyne,1976.)

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