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政治と宗教  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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9  権力欲というエゴイスチックな欲望に引きずられやすい政治家が、人々の福祉への貢献という、慈悲の精神をその言動の根幹としていくようになるには、どうすればよいか。
 人間の本性について悲観主義的な人は、このこと自体を絶望視し、一笑に付すことでしょう。私も、それが容易でないことは、十分に認識しているつもりです。事実、歴史を振り返ってみるとき、権力者が、一人の君主から、民衆の選挙による代議員の合議制や、選出された政党による内閣制に変わっても、期待されたほどの理想的政治が実現しなかったばかりか、かえってより悲劇的な事態を招いたことさえありました。制度改革によってこの人間の本質が変えられるものでないことは、あまりにも明らかです。
 仏法は、この最も困難な課題である人間自身の内面的変革を目指したものであり、仏法の信仰とは、自己の人間革命への挑戦に他なりません。もちろん、これも、一挙に変わるものではありませんし、他の人を外から変えることもできません。あくまで、それを自覚した人が、自己の成長と変革を目指して弛みない努力をしていくところに、初めて可能となるのであり、一生涯が、その変革の過程であります。
 したがって、仏法を信仰したから、すでに理想的人格になっているというわけではないことは、いうまでもありませんが、少なくとも仏法を学ぶことによって、自己変革の必要性を意識するようになりますし、着実な信仰の実践によって徐々に変革し、成長していくことができます。
 しかも、政治家の権力欲を支えているものは、じつは選挙民である民衆の利欲でもあり、人間革命は、たんに政治家のみでなく、民衆自体の課題でもあります。一人一人が、利己よりも利他を、欲望のあくなき追求でなく自己抑制を目指すことが必要ですし、また、それを実現するために、自己の人間革命に努めるべきです。
10  私たちが公明党を生み出し、政界に人材を送ったのは、右のような考えからで、仏法を持って人間革命に取り組む人々によって、現代の政治の権力欲への傾斜を、少しでも是正したいと願うからに他なりません。
 私自身は、あくまでも創価学会という信仰実践弘教の組織に指導責任を負っているのであって、公明党に関しては、支持はしますが、政策決定、活動、人事等、一切干渉はしていません。信仰団体としての創価学会と、政党としての公明党は、それぞれに自律性をもった、まったく別個の組織体です。
 ただし、党創設にあたっては、仏法の理念のうえから、目的は仏法の慈悲に立って、民衆の福祉への貢献、世界平和の確立・維持に尽くしてくれるよう要望していますし、それは今後も堅持されていくと信じています。
 むしろ、信仰団体・創価学会の指導責任を負う私として何よりも心しなければならないことは、この信仰組織の中に芽ばえてくる権力欲を抑制し、純粋な仏法信仰の精神を組織のすみずみにまで、あらゆるメンバーの心の中に徹底し、維持していくことです。
 過去の多くの宗教が、巨大組織化するにつれて、本来、宗教としてはそれなりに優れたものをもっていても、結局は堕落し、形骸化して、凋落していった根本原因は、まさにこの権力欲に毒されたところにあったと思います。
 教授が指摘された点を、私たちも、きわめて貴重な示唆として受け止めていきたいと思うものです。

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