Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

生命の永遠  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
8  池田 日本においても、調査によると、都市部の、しかも知識階層に、超経験的なものや死後の生命の連続といったことを信ずる人が増えているということが、明らかになっています。しかし、教授が言われたように、それと自らの生き方のうえでの倫理規範ということとは、結びついていません。
 日本で、最近、死後の問題についての関心が高まったのは、アメリカの死後体験――といっても、一時的仮死状態になった人の体験ですが――の報告などが機縁になっています。それらの中に、生前の違いによる因果応報的な差異はないようで、一様に光の中に入っていったとか、苦しみのない状態として報告されているものもあります。これらは、死後、地獄に堕ちないためには、現在の人生を正しく、人への思いやりをもって生きなければならないと教えた、伝統的な仏教の輪廻観とは大きく異なっているわけです。
 たしかに宗教は、いたずらに恐怖や不安を人間に与えるべきではなく、希望と安心感をもたらすべきです。また、現在の人生における倫理・道徳の意識は、死後への恐怖によって支えられるべきものではなく、現在の人間としてのあるべき理想像と、それを目指す意志によって育まれ、維持されるべきでありましょう。
9  しかしながら、人間の心の中に渦巻き、噴出してくる欲望や衝動には、理性の力や道徳的なしつけだけでは、抑えきれないものがあることも事実です。かつては、仏教やキリスト教の地獄観が、その恐怖によって、理性やしつけの及ばない深みで、欲望や衝動を抑制する役割を果たしていました。そうした役割を死後の生命に関する宗教の教えに再び求めることは不可能かもしれませんが、別の形で欲望や衝動を抑制しうるものが再構築される必要はあるのではないでしょうか。
 地獄が客観的にいかなる状態を指すのかという論議はしばらく措き、日蓮大聖人の教えは、現在の人生の中で自己の欲望や衝動を支配する英知を強めることを目指すとともに、そのことによって、死後の未来においてはより希望に満ちた世界に入ることを強調しています。私は、個々人の中に、こうした英知に裏打ちされた主体性と未来への希望を確立し、欲望や衝動への戦いの主役としていくべきであろうと考えています。
10  (注1)ソーシャル・コントロール(社会統制)
 個人の活動に規制を加え、確立した社会秩序に順応させようとする一部の社会制度の働きをいう。社会が個人に加える統制力(支配力)には、警察の機能から仲間や隣人に対する人々の思いやりにいたるまで、さまざまなものが含まれる。実際には、社会統制の機関は、大多数の個人を、その行動の大部分において、確立された社会の規範に適合させようとする社会化の効果と相まって機能する。

1
8