Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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奇跡物語の意義  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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7  日蓮大聖人は、尊厳なもの、その逆に恐ろしく醜いものを、人間の外のはるかな彼方に求めて渇仰や畏怖を教えた伝統的な仏教に対し、それらは、じつは遠い彼方にあるのではなく、一人一人の人間の心の中にすべてが収まっていることを教えました。逆にいえば、人間の生命こそ、宇宙的な広がりをもった広大無辺の存在であり、善と悪の両極を包含した複雑微妙な存在であることを示されたのです。
 それはまた、ある意味では、「神が人間を創造した」と教えた伝統的キリスト教に対して「人間が神を作ったのである」と反論したヨーロッパの近代主義にも通ずる変革であったといえましょう。ただし、ヨーロッパ近代主義は、神中心の思考から人間中心の思考に転換したものの、人間を理性と欲望に還元し、宗教の重要性を否定してしまいました。これに対し、日蓮大聖人は、人間生命こそ、宇宙的広大さと無限の可能性を秘めた不可思議の存在であるとして、生命を尊極とする宗教を打ち立てられたのです。
 私は、信仰者にとっては、奇跡あるいは奇跡的なものが、人間の外側に想定されようが、それが科学的理性に反しようが、そのようなことは問題ではないということを理解しますが、しかし、それでは、現代人の大多数にとって受け入れられないと思います。それに対し、日蓮大聖人の教えは、そうした観点から宗教に対して拒否的な態度をとる人も、十分納得し、受け入れうるものであろうと考えています。
8  (注1)宝の塔釈尊が法華経を説いた時(見宝塔品第十一)に、地より涌出した多宝塔のこと。七宝(金、銀、瑠璃、玻璃、瑪瑙、真珠、珊瑚)をもって荘厳され、高さ五百由旬、縦広二百五十由旬あり、この中に宝浄世界の多宝如来の全身が収められている。

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