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日蓮大聖人・池田大作

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宗教の神秘性  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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4  この神秘的要素は、われわれが“神秘家”と評している、また“神秘”なるものを行じる宗教の大家たちによる、たんなる特殊な信心の対象に止まるものではありません。そうした神秘的なものへの帰依者は、一般の信者の中では特殊な、また通常はほんの一握りの少数者なのですが、彼らは、やがて人々に、特殊な啓示力や気高さを具えた人間として、さらにはまた、自分ではそうした強烈な信仰心を奮い起こすことのできない大多数の信者から、信仰生活の教導者としても認められ、称賛されるようになるのです。そうした“神秘家”にとっては、“神秘”とは、もっと深い意味をもっているのかもしれません。しかし、すべての一般的な信仰者にとっては、宗教の中心点は、日常的経験を超越した真理を実感することにあるのであり、それこそが――少なくともこの理由から、またおそらくはその他の理由もあるでしょうが――神秘的なものであるのです。
5  池田 往々にして、宗教の神秘性は、人々に盲信・盲従を強いる口実とされます。これは、宗教が人間性の健全な維持・発展のために不可欠のものであるにもかかわらず、宗教への不信・敵意を引き起こし、特に現代社会において人々の宗教喪失を招いた原因の一つになっています。その意味で、宗教に神秘性は免れえないとはいえ、理性で捉えられ判断できる範囲では合理的であるのかどうか、そして、その宗教の説いていることが人間性の健全な維持・発展という目的に合致しているかどうかが、確認される必要がありましょう。
 日蓮大聖人は、諸宗教を批判・選択するうえでの基準として、仏教であれば、その宗派の教義が釈迦牟尼の説法の記録とされる経典に正しい根拠をもっているかどうか、次に、その教義が理性で判断できる範囲において合理的であり、良識に合致しているかどうか、さらに、その説いている通りの結果が現実の事象として現れるかどうかという、文証・理証・現証の三つの視点を提示されています。
 これは、神秘性を隠れみのにして、不合理な教えを人々に押しつけ、人間性の衰退をもたらしかねない宗教の正体を明らかにし、人々を堕落や宗教不信から守るために、きわめて大事な教示であると私は考えています。
6  (注1)ユニテリアン派
 十六世紀ヨーロッパに起こった比較的小さなキリスト教教団。他のキリスト教各宗派が立てている三位一体の教理を拒否し、人道主義的、自由主義的、合理主義的な教義解釈に立った信仰を行い、イギリスとアメリカの社会生活に少なからぬ影響を与えてきた。
 (注2)三位一体
 キリスト教の神観念の最も特徴的なもので、教理の中でも最も基本的、中心的な奥義の一つ。神はその本性においては一つであり、この一つの神の内に三つの位格(父と子と聖霊)があるとされる。
 (注3)“信仰の飛躍”
 キリスト教神学によれば、理性だけでは信仰上の神秘は解明しきれず、宗教教義の証明もできないとされる。そのような次元のものを信じ、さらに宗教活動に入っていくためには、個人は理性の限界を超えて“信仰の飛躍”を行うことが必要であるという。

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