Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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普遍性と特殊性
「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)
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池田
いうまでもなく、仏教も、それがひろまった国々に、人々の生活様式や文化の点で影響を与えてきました。たとえば、インドについて見れば、仏教教団は、カースト制度(注4)のもたらした人間の差別観を否定し、少なくとも教団内においては、差別が排除されました。芸術等においても、明らかに仏教美術として区別できるものを生み出したことは、否定できないと思います。この点は、中国・日本についてもいえます。
しかも、それでありながら、たとえばインドの仏教美術と中国・日本の仏教美術とはかなり異なっており、それぞれ、インド美術、中国美術・日本美術として独自の特色をもっています。
その原因はどこにあるかといいますと、釈迦牟尼は五十年間にわたって法を説き、その内容は厖大なものです。そして、そこに示された教えや修行法もきわめて多様であり、どの教えを用いるかによって、実践形態も人生や世界の捉え方も、多種多様になったということができます。
教授のおっしゃるように、キリスト教やイスラム教も、その宗教的伝統の内部に多様化が起こりましたが、教祖の提示したものは比較的単一的であって、国家や地方の様式の多様性が、その多様化の因になったのではないでしょうか。特にキリスト教の場合、イエスの教化活動は、わずか二、三年であって、それだけ教義も単純でした。そのため、中央集権化された組織を作って、教義解釈を統一することが可能だったのだと思います。仏教のように厖大で多様な内容をもった経典がありますと、統一的な教義解釈そのものが困難であったわけです。
このように言いますと、仏教そのものが茫漠として曖昧であるかのようですが、その体系的把握が、それぞれの宗派によってさまざまになされてきたことは、いうまでもありません。私が信奉している日蓮大聖人の仏法においても、一つの体系化があり、私の信仰的立場においては、これを正しいと確信していますが、ここでは、その論議に触れないでおきます。ただ、仏教の基本的な行き方は、あくまで人々の生命の内面からの知恵の開発と、個々人の主体性の強化にあり、外側から生活規範を押しつけるものではないところに、文化や生活形態の画一化をもたらさなかった根本的要因があった、と申し上げることができます。
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(注1)パティキュラリズム(特殊主義)
一般的で非個人的な配慮よりも、特定の、地方的、個人的な規準によって支配される行動や関係を受け入れる気質をいう。個人的な愛情や親族間の絆共通の人種的アイデンティティー(自己同一性)、過去の交遊関係などはパティキュラリスティック(特殊主義的)な事柄の一例である。神学上では「特定人選定論」、すなわち、救済は特定の人にのみ与えられる、という考え方を指す。
(注2)上座部仏教
セイロン(現スリランカ)、ビルマ(現ミャンマー)、タイなどに伝わった戒律の厳しい小乗教の系統、南方仏教をいう。
(注3)タントラ教
タントラとはヒンズー教(ときに仏教)の秘儀的傾向をもつ経典。このタントラに従って宗教的実践をするインドの秘儀的宗教をいう。
(注4)カースト制度
アーリア人のインド侵入(紀元前一五〇〇年ごろ)によって成立したきわめて厳重な階級制・身分制度で、現代にまで及んでいる。古代のカーストは、四つ(司祭のバラモン、武士のクシャトリア、庶民のバイシャ、隷民のシュードラ)にすぎなかったが、長い間に細かく分化して、現在では二千から三千にも達するという。
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