Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

宗教的感情の源泉  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
4  死は、人間にとって、未知の側面を代表するものではありますが、他にも、人間にとって不確かな事象はあります。人間は、自然の事物(川、火山、海)に現れる力に、尊崇の念を抱くでしょう。また、世俗の(注1)君主の権勢ですら、人々に、畏怖と崇敬の強い感情を起こさせうるものです(そうした感情は、それらの人物の機嫌を宥める必要があると、さらに強くなるかもしれません)。人々が戦争、疫病、飢饉、経済破綻などで経験する不安な社会状況が、強力な反応を生んで、宗教の形態をとることもありましょう。
 ところが、これらの他にも宗教的感情の源泉はあります。社会集団の存続や再興を祝うことも、多くの場合、宗教的感情の根源と考えられています。人間は、集団を形成することによって、社会的な力を感じます。これは、人間にとっては、自らが高度の社会的存在であるという、神秘的ともいえる感覚であり、そこからも宗教的感情の源泉が発しているのです。
5  池田 いま教授は、宗教の起源に関して、死以外にも、自然界の強大な力、世俗君主の力等への畏敬尊敬の念、社会的不安への反応、集団の力への畏敬といったものも、宗教的感情の源泉になりうることを指摘されました。私は、最も古い人類の遺跡から、物的証拠として確認できるものとして、死者への畏敬という点を取り出して挙げたわけですが、人類文明の発展史をたどり、あるいは現在の人間社会に見られる宗教の実態を観察するならば、教授が指摘されたような、さまざまな宗教的感情の源泉を挙げることができると思います。
 一つの考え方として、人間がまだそれほど整った社会体制を形成していない段階においては、死や自然の力への畏敬が宗教的感情の主な源泉になった。それが、社会体制が形成され、しだいに自然の力の衝撃に対するクッションとなるにつれて、国家集団や君主の力への畏敬を源泉とする宗教的感情が、大きい比重を占めていった。さらに、これらの多様な源泉に対して哲学的思考が加えられることによって、それらを統合する一者という抽象的概念が生じ、唯一神あるいは究極的真理への崇拝という宗教が発展していった。――このように見ることができるのではないでしょうか。
 ともあれ、このような、感覚機能で捉えることのできないものの存在を信じ、それを畏敬あるいは憧憬することによって、感覚的欲望の充足のみを求める心や、不安といったものに対し、抑制し、鎮め、昇華させることができるわけで、私は、そうした人間の置かれている状況は、人間が人間である以上は不変であり、宗教的感情の発生は人間性にとって自然なことでもあり、不可欠なことでもあると考えています。
6  (注1)世俗(神に関わる事柄と区別して)世間の事象万般を表す。社会(公民)の権威、非宗教的な文化を示す用語と定義されるが、ときに一般信徒に仕える一部の聖職者を表すのに用いられる場合もある。

1
4