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日蓮大聖人・池田大作

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人間にとって最重要なもの  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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3  池田 いまの指導者の少なからずは、民衆を尊ぶといいながら、心のなかでは、本当は蔑視しているのではないか、との疑念を捨てきれません。民衆を手段化するのではなく、民衆を目的として、あらゆる政策なり外交が行われなければなりません。私は、民衆の望むものを犠牲にしたり、民衆を見落とすことは「悪」であるとの思想が徹底されなければならないと信じます。
 それと一方では、民衆一人ひとりがみずからの意識をレベルアップし、その力によってなしとげた社会変革、それは人間変革という沃野に広がる田園ですが、その社会変革こそ、永遠の光をもつと考えます。なによりも民衆が目覚め、この民衆の意識で権力をコントロールして、その暴走を抑えていく以外にないでしょう。
 あなたは、政治家は遠からずいなくなるだろう、といわれました。それに代わるものはこうした民衆であるべきでしょう。これまでの歴史は、一つの体制の悪を打倒しても、つぎの体制がまた悪を露呈していくという繰り返しであったともいえます。新しい体制は、また新しい悪を生むというこの悪循環に終止符を打つのは、体制がもつ権力に、積極的な意味での歯止めをかける以外にない。それには、権力者自身の内に、そしてさらにすべての人間の内に、権力に対する歯止めをもつことでしょう。
 マルロー たしかにそうでしょう。
 池田 お別れの時間がきました。大変、貴重な時間をさいていただき、ありがとうございました。
 マルロー (玄関まで見送り、前庭で)遠方からわざわざおいでいただき、こちらこそ感謝します。
 (一九七五年五月十九日、パリ南部ヴェリエールにて第2回対談)
4  訳者註
 (5)マルローもこの言葉に同意するであろう。現代は文学の時代ではない、と彼は考えているようである。最近著『ネオクリティック(新批評)』においてマルローは「ヒロシマ、ケネディ、ガンジーといったノン・フィクションの領域がますます盛んになるとともに、文学が衰退していく」ことと「伝記は文学の最後の尾骶骨である」ことを指摘しているが、そういうマルロー自身、『アルテンブルクの胡桃の木』以降、文学的創作には二十年余りも筆を染めていなかった。その唯一の例外ともいうべき作品が『冥界の鏡』であるが、これとても、その第一部が『アンチメモワール(反回想録)』と名づけられているように、いわゆる回想録の反対であり、また文学としての伝記的手法の反対であることを考えなければならない。なお、『ネオクリティック』を含む『無常の人間と文学』が没後、遺著として刊行されるに至ったことを付記しておく。

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