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21世紀文明の夜明けを――ファウストの… アテネオ文化・学術協会記念講演

1995.6.26 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

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24  このように、内面世界の陶冶や鍛えの勧めが、いずれも″剣″″鏡″″田と作物″などの具体的事例に寄せて述べられている点に、留意していただきたい。
 これらの農作物や手仕事を特徴づけているのは、活字の世界などと違い、結果を得るまでの過程に少しの手抜きも許されない、つまり要領やごまかしの通用しない世界であるということであります。
 例えば、田に育つ稲にしても、収穫に至るまでに、実に八十八段階ともいわれる手順を踏まなければならず、どれ一つ欠けても満足のいく結果は得られません。
 名刀を鍛え上げるにしても、鏡を磨き上げる場合も、同じ道理であります。
 そして、独り、人格や内面性の陶冶作業のみが、この道理の埒外にいられるわけはない。手抜きやごまかしは許されないのであります。
25  にもかかわらず、近代文明の申し子ともいうべき「慢心しきったお坊ちゃん」たちは、この道理に背を向け、楽をしよう、易きにつこう、簡単に結果を手に入れようとするあまり、オルテガの言う「真の貴族に負わされているヘラクレス的な事業」(神吉敬三訳、前掲書)などとは、縁なき衆生と化してしまった感さえあります。
 その結果、旧社会主義国はもとより、″勝利″したはずの自由主義国にあっても、シニシズム(冷笑主義)や拝金主義の横行する「哲学の大空位時代」を招き寄せてしまいました。
 その陶冶なき脆弱な内面世界と、未曾有の大殺戮を演じた二十世紀の悲劇的な外面世界とは、深い次元で重なり合っているように思えてなりません。
 ゆえに、私どもは、人格の陶冶の異名ともいうべき「人間革命」の旗を高く掲げ、新たな人間世紀の夜明けを目指し、航海を続けているのであります。
26  以上、私は、二十一世紀文明構築のための要件と思われるものを「自律」「共生」「陶冶」の三点にしぼって申し上げてみました。それらが、煉獄のファウストの苦悩にとって、希望の曙光たりうるかどうかは、歴史の審判にゆだねる以外はないでしょう。
 しかし、一歩を踏み出さずして、二歩も千歩もありません。
 私は一仏法者として、試練の歴史を生きる同時代入として、諸先生方とともに、全力をあげて、この未聞の開拓作業に汗を流してまいる決意であります。
 最後に、貴国の偉大な精神的遺産である『ドン・キホーテ』の一節を申し上げ、私の話を終わらせていただきます。
 「遍歴の騎士は世界の隅々へ分け入るがよい、およそこみいった迷路へ踏み入るがよい、一歩ごとに不可能なことに敢然と立ち向かうがよい、人住まぬ荒地の真夏の日の灼くがごとき炎熱に堪え、冬は風雪の厳しい寒さに堪えるがよい」(「セルバンテス2」会田由訳、『世界古典文学全集』40所収、筑摩書房)
 ご清聴、ありがとうございました。
 (平成7年6月26日 スペイン、アテネオ文化・学術協会 池田博正氏が代読)

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