Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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文学と仏教 創価大学第1回夏季大学講座

1973.8.25 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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33  諸行無常だけでは仏法になりません。作者も当時の知識人として「諸行無常 是生滅法」の下の句である「生滅滅己 寂滅為楽」は、当然知っていたと考えられる。この「寂滅為楽」の一句が「竜女が正覚の跡をおひ」うんぬんの一句に埋伏され、そこに″簡浄の精神″が込められたと、私は考えたい。ともあれ、私はこの一点において、文学者・覚一法師の思想的流風余韻を感じてやまない一人であります。
 仏教と深くなじみながら成長してきた日本文学は、どこまでも大和心を発達させながら″簡浄の美″という、一つの極点に到達したことは間違いない事実でありましょう。
 ″簡浄の美″の″簡″とは、ふくみ多きものとしての″簡″であり、簡単という意味の″簡″ではない。″浄″とは、上古の浄めの思想から発して、仏教の「常楽我浄」の″浄″に発達したものであり、されば″簡浄の美″を尊ぶわが文学の伝統は、日本人の独特なる仏教精神に培われた″大和心″の表れであると、私は考えたいのであります。
34  最後に、このように日本文学は、仏教を豊かな思想的土壌として展開されてきましたが、その仏教の思想は、大乗教の中でも権・実のうち権教のほうに属する、いまだ正覚を得ない段階の思想でありました。今後の激動の社会において、日蓮大聖人の偉大な仏法を根底として新しい人間復興の波が起き、人間変革、人間革命がなされていくでありましょう。こうした潮流の中で、偉大な仏法思想を源泉とした新しい世界文学というものが興ってくるのも、これまた必然でありましょう。
 きょうは一段階として私の話を終わります。また、次の機会に講演させていただければ幸甚です。(大拍手)
 (昭和48年8月25・26日 創価大学体育館)

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