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日蓮大聖人・池田大作

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東西融合の緑野を求めて ソフイア大学記念講演

1981.5.21 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
10  銃をとって立ち、若くして敵弾に倒れた革命詩人と、「悪に抵抗するな」と愛の哲学に殉じた老文豪とを同列に論ずることは、一見、奇異に思われるかもしれません。しかし両者はともにスラブ、バルカンの大地にしっかりと根を張った魂の叫びであります。
 トルストイやボテフの「神」は、天上の高みから人間の生命の奥深く降りきたることにより、人々をあらゆる権威の呪縛から解き放とうとしているかのようであります。それは、虐げられた農民、民衆に、燦々と降り注ぐ陽光にも似た、人類愛の叫びであります。形態こそ違え、こうした人類愛は、貴国の掲げる社会主義ヒューマニズムの理想と、相容れないものでは決してないと思われます。のみならずそれは、私に、一切の人々の生命に″仏性″という尊極の存在を説く、仏教の人間観をさえ、想起させてやみません。
11  トルストイやボテフの「神」を、宗教的教義に照らしてあれこれ詮索することは、もはや無意味であります。彼らが命をかけて訴えていることは、宗教であれ何であれ「人間のため」に存在しているのであり、その原点を忘却した時、たちまち堕落の急坂を転げ落ちてしまうということだからであります。
 ヴアーゾフは、一八七六年(明治九年)の「四月蜂起」を指して「ブルガリアの民族精神がこれほどにまで高まったことはかつて一度もなかったし、これからもおそらく二度とないのではあるまいか……」(『軛の下で』松永緑彌訳)と述べております。私は、この「四月蜂起」の際の民族精神の高揚こそ、何にもまして人間の尊厳を守り抜こうとする、やむにやまれぬ生命のほとばしりであったと思うのであります。こうした民族精神の高揚が「二度とない」かどうかは、皆さま方の賢明なる判断にゆだねる以外にありません。しかし、貴国の大地にへんぼんと翻る、この人間性の旗が失われぬ限り、道は、民族の枠を超えて、二十一世紀の人類社会へとはるかに開けているでありましょう。それはまた東西両文明が融合し、平和と文化の華咲く広々とした「緑野」であることを、私は信じてやまないものであります。
12  最後に、貴国のシンボルは獅子であると聞いております。実はこの獅子は、仏教においても重要な意義を与えられているのであります。仏教の精神を根底に善政を施した古代インドのアショーカ王のことは、皆さま方もご存じのことと思います。そのアショーカ王は、釈尊の初転法輪、つまり初めて法を説き始めた所であるベナレスのサルナートに、四匹の獅子が背を寄せ合っている柱頭を持つ柱を建てているのであります。
 私は、全民衆の幸福を願って立った釈尊の第一声が、獅子のイメージで象られていることに、非常な興味を覚えるのであります。あたかも百獣の王の雄叫びのように釈尊の説法は、あらゆる雑音を圧し、人々の心を根底から揺るがす力強い音声の響きを持っていたに違いない。私もこの精神を昇華した日蓮大聖人を信奉する一仏法者として、世界を駆けてまいるつもりでございます。
 どうか皆さま方も、獅子のごとく雄々しく、獅子のごとく不屈に、人間の自由と平和と尊厳の旗を振り抜いていっていただきたいことを強く念願し、私の講演とさせていただきます。
 (昭和56年5月2日 ブルガリア国立ソフィア大学講堂)

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