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日蓮大聖人・池田大作

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メキシコの詩心に思うこと グアダラハラ大学記念講演

1981.3.5 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
10  たしかに自由といい、平等、独立といっても、それを完全に実現することは至難の業であります。近代メキシコの歴史も、多くの曲折をたどった試行錯誤の過程であったといってよいかもしれません。政治、経済面をはじめ、課題は数多く残されており、あげて皆さま方の今後の努力と建設作業にかかっているわけであります。
 しかし私は、三百年にわたるスペイン統治下の凍てついた大地の下でしぶとく生き続け、独立や革命を経て鍛え上げられてきたメキシコの人々のアルマ(魂)は、将来にわたって、必ずや見事な実を結ぶであろう
 ことを信じてやみません。それは、貴国と日本はもとより、ラテンアメリカをはじめとする第三世界、ひいては人類社会へと、巨大な貢献をなしゆくでありましょう。あたかも、メキシコ・ルネサンスの旗手であったリベラやオロスコ、シヶイロス、タマヨ等の芸術が、世界的な衝撃波を呼んだように――。
11  貴国をよく知る日本の画家によると、客を迎えるときのメキシコ流のあいさつに「この家は、また、あなたのお住まいでもあります」というのがあるそうです。誠に人情味あふれたやりとりであり、お国ぶりがよくうかがわれるような気がいたします。
 仏典にも″二つの蘆束あしたば″と題する同じような比喩が説かれております。蘆とはイネに似て細く長い茎をもつ植物で、蘆束はそれを数本束ねたものです。釈尊の門下でも、智慧にかけては並ぶもののないといわれた舎利弗という人が、その讐えを使ったと伝えられているものです。
 「例えば、二つの蘆束があるとしよう。それらの蘆東は、相依っている時には立っていることができる。同様に、これがあることによって、かれがあり、かれがあるから、これがあるのである。もし、二つの蘆束のうち一つを取り去れば、ほかの蘆束も倒れるであろう。同じく、これがなければ、かれもなく、かれがなければ、これもないのである」と。
 この比喩は、人間は独りで生きることはできず、互いに依存し助け合って生きていくことの大切さを教えているのであります。「この家は、また、あなたのお住まいでもあります」との、招待の際の貴国のあいさつにも、同じような深い生活の知恵が含まれていると思うのであります。
12  ともあれ国際化時代を迎えて、メキシコと日本に限らず、世界各国の交流は、今後、一段と活発化していくことでありましょう。国と国、民族と民族との間に平等互恵が徹底されなければならず、それには民族相互の心の交流が不可欠な時を迎えております。今回の私どもの貴国訪問が、そのためのささやかな一石にともなればと念願いたします。
 最後に、きょうお集まりくださった二十一世紀に立ち向かいゆく、知性と情熱に燃えた学生の皆さん方が、メキシコ国家の柱となるとともに、世界平和のために、一人一人が使命と責任あるリーダーとなって、存分に寄与されんことを祈り願って、私の講演を終わります。(大拍手)
 (昭和56年3月5日 メキシコ、グアダラハラ大学)

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