Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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二十一世紀への提言 UCLA記念講演

1974.4.1 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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13  人間謳歌の文明に
 翻って、現代文明をみるとき、私達の文明はまさしくこの「小我」に翻弄され、それを最大限に暴れさせた文明であったことは悲しい。人間の欲の権化が環境を汚染し、石油資源を掘り尽くして、巨大な科学技術文明を作りだした。巨大なビル、高速の交通機関、様々な人工食料、そして最も忌まわしい兵器――それらのすべてが、人間の執着、煩悩の象徴であります。
 それらのなすがままにまかせ、人間を従属させていくならば、必ずや人類を自滅に陥れるに違いありません。
 世界的な思潮として、今、現代文明の暴走への反省から、「人間」に目を向けるようになってきたのは、ようやく人間が人間であろうとしている兆しでもあるといえましょう。
 欲望に支配され、無常の現象の世界ばかり追い回すのであれば、そこにいかに知性が発揮されているといっても、本源的には、本能に生きる動物と変わるところがない。現象の奥にある、目には見えぬ実在に目を向けてこそ、人間は人間たる価値を顕すのではないでしょうか。(拍手)
 トインビー博士は、自らのエゴにとらわれた欲望を「魔性の欲望」と認識され、それに対し「大我」に融合する欲望を「愛に向かう欲望」と名づけられました。そして「魔性の欲望」をコントロールするためには、人間一人一人が内なる自己を見つめ、制御することが必要不可欠であると、二十一世紀への警鐘として述べられたのであります。
 来たるべき二十一世紀の文明は「小我」に支配されてきた文明を打ち破り、「大我」を踏まえ、無常の奥にある常住の実在をつかんだうえに立っての円満な発達が要請されるべきであります。それでこそ、初めて人間は、自らが人間として自立し、文明は人間の文明になるのであります。そのような意味から、私は、二十一世紀を「生命の世紀」でなければならないと訴える次第であります。(大拍手)
14  私達の人生は、また宇宙のあらゆる現象は車輪が回るごとく、展転きわまりないものであります。しかし、煩悩、欲望の泥沼の上をあえぎながら走るか、確固とした「大我」を悟った生命の大地の上を走りゆくかによって、その回転は変わってくる。その時、初めて文明は確かな足どりをもって動き始めるといえましょう。
 二十一世紀が夢に見た人間謳歌の文明になるかどうかは、一にかかって、人間そのものに目を向け、常住不変、不動の力強い不変の生命を発見しうるかどうかにかかっている。そして今は、まさにその分岐点であることを、本日、私は皆さんに訴えたいのであります。
 二十世紀後期から二十一世紀にかけての現代は、まさしく人間が真に人間となるか否かの転換期であると、私は考える。これまでは、極論かもしれませんが、人間は知性を持った動物の域を出なかった。私の信奉する七百年前の日蓮大聖人の教典の中に「才能ある畜生」という表現がありますが、現代において、この言葉の持つ意味が極めて明確になりつつあります。人間は知性的に人間であるだけではなく、精神的、更に生命的にも、人間として跳躍を遂げなければならないと信ずるものであります。
 その課題は、今日の誰人にも課せられております。まず、自ら人間としての自立の道を模索すべきだと思います。私は仏法によって、その「生命の旅」を開始いたしました。皆さんも、一人一人が未曾有の転換期に立つ若き建設者、開拓者として、それぞれの「人間自立の道」を考えていただきたい。私は本日、そのための参考として仏法の英知の一端をお話しいたしました。この講演が、皆さん一人一人にとって何らかの指標となれば幸いであります。(大拍手)
 (昭和49年4月1日 カリフォルニア大学ロサンゼルス校)

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